サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

レリゴーの先には何があったかな

札幌で始まった劇団四季ウィキッドを観てきた。前回は東京の電通劇場で2008年くらいに観て、今回が2回目だ。

生まれつき緑色の肌をもつ賢く気の強いエルファバと美人で人気至上主義者のグリンダが大学のルームメイトとして出会い、初めは嫌い合っていた2人が徐々に心を通わせ、困難に立ち向かいながら成長してゆく友情ドラマである。
こう乱暴にまとめると異論が出そうだが、根底に流れるテーマはタイプの違う2人の女の子の友情だと認識している。ポスターもそんな感じだしね。
お互いの違いを認め、勇気を出して自分を変えてゆく。
壊滅的にダサかったエルファバはシーンを追うごとに衣装はステキになり、自信に満ちてゆく。
頭空っぽだったグリンダは、責任感と使命感が芽生え、強いリーダーへ生まれ変わる。

ネタバレすると、最後のシーンでエルファバとその恋人のフィエロは、誰にも告げずひっそりと旅立ってしまう。先天的か後天的かの違いはあれど、社会的なマイノリティの2人がお互いの愛を支えに、国を追われる形で姿を消す。
劇中では、フィエロの実家が所有する古城という行き先が示唆されているのだが、わたしはマイノリティの安全な城というとあの氷の城を想起せずにはいられない。
アナ雪で国を追われたエルサが魔法で作り出した「隠遁の城」である。

ウィキッドでは1幕の最後、「自由を求めて」で概念上のレリゴー(ええい、ままよ。どうにでもなれ。もう自分に嘘はつかないぞ!力を使うぞ!という決意)をし、みんなのためにいろいろ頑張るけどいろいろ裏目に出て、愛する男性とは結ばれたけれど、もうここにはいられないから隠遁しちゃうエンドで終幕する。レリゴーエンドである。
それに対しアナ雪は、一度はレリゴーしたけど、愛する妹を助けるためにいろいろ頑張らざるを得なくて、なんやかんやで国も救えたし、魔法の力の平和利用が功を奏して社会復帰できたねよかったねという調和エンドを迎える。あくまで通過儀礼としてのレリゴーであったのだ。

ウィキッドは2003年ブロードウェイで初演。アナ雪は2014年封切り。約10年を経てアメリカ社会が示した、マイノリティが叫ぶレリゴーの先にある回答例の一つがアナ雪の社会復帰エンドではないかと考えた。
もちろんアナ雪ではそもそもアレンデールが比較的資源に恵まれた豊かな国で、国民たちの王室への忠誠度が高く、「一度やらかした王女」をわだかまりなく受け入れてくれるチート民度に支えられてのことであるのは間違いない。
それに対し、オズの国はこの世の数多の国と同様、市民は流言に一喜一憂し、プロパガンダに簡単に飛びつく。悪い魔女はどこまで行っても悪い魔女なのだ。これは、湾岸戦争を正義の戦争として肯定したアメリカ社会への批判精神をもとに描かれているためだろう。アメリカが強い世界警察だった時代に製作されたドラマなのだ。

しかし、今回は2度目の鑑賞なので気づいたのだが、冒頭のシーンで指導者となったグリンダは悪い魔女の「死」を喜ぶ民たちに友の真実を話し始めるのだ。そもそもこの劇は「回想録」だったのである。
そして、ここにわたしはレリゴーの先のかすかな希望を見た。きっと、いつか悪い魔女が山奥の城から帰って来られる国にしてみせるという、良い魔女の理想に基づく第一歩なのだと解釈した。

2003年からの10年間は、リーマンショック、アフガン攻撃、イラク侵攻など、将来世界史の教科書に残る出来事の多くでアメリカは主役を演じ、もはやかつてのような強く自信に満ちた世界警察ではなくなってしまった。
一方、シリコンバレーを舞台にテクノロジーの進化は著しく、かつてはオタクの趣味だったインターネットは爆発的に普及し、情報は世界をなだらかに結んだ。
個人がたどり着ける情報の量は飛躍的に増し、孤立したマイノリティ同士が海を越え山を越え、言葉の壁を越えて手を取り合った。

わたしはこの結びつきこそがレリゴーの先の優しい世界を生み出したように思えてならない。2003年の魔女は隠遁し、2014年の魔女は社会復帰した。つまり、前者の世間はマイノリティを拒絶し、後者は受け入れたということだ。
この世界は間違いなく、優しくなっている。
そう安直に考えるのは楽天的すぎであろうか。

ちなみに、2016年はウサギ初の警察官が優しさに疲れた世界でこじれた現実を目の当たりにするのだが、ズートピアの感想はこんど書く。

介入できない覗き窓

数学や倫理、化学、国語が好きだった。
覚えることが少なくて済むので、少しの勉強ですぐに点数が稼げたからだ。こういう分野は受験の役に立つ。

数学は定理を、倫理は思想のフレームを、化学は公式を、国語は要約の手法を。最低限のしくみがわかれば、比較的急速に教科間の横の繋がりができる。化学現象は幾何であり、数学は論理であり、国語は思想である。
物理は10代のころは概念自体を理解できず、からっきしであったが、20歳を過ぎてから良き師に恵まれ、生業とするまでに至った。
物理は世界をアバウトにし、出来事を捉えやすくする大人のツールだ。
とにかく、よく、「役に立つ」。

近ごろ夢中になっているのは歴史、地学、生物。
覚えることばかりの学問だ。
ありのままを観察する、忍耐の分野だ。
役に立たない私、私の中の役に立たない部分。どこから来たのか、どこへ行くのか、何が起こっているのか、何を起こせないのか。何も生まない、何も変えられない私を見つめる勉強だ。私が不在の勉強だ。
私はプレート移動を止められない。酸素を吐き出せない。アタワルパを救えない。微分方程式が解けても、アウフヘーベンできても、メッキ加工を施せても、感情を律に載せられても。

とうとう私は学問をはじめたのだ。

春の三陸珍道中

東北旅行は私のライフワークである。
この6、7年は毎年どこかしらに訪れている。昨年は春に青森県津軽地方、秋に山形県蔵王福島県会津を訪れた。
これから行きたいリストとしては、青森県下北半島、青森と八戸の縄文遺跡、岩手県の盛岡近辺、龍泉洞秋田県田沢湖周辺、山形県出羽三山福島県猪苗代湖など、まだ何十年もかかりそうである。

岩手県三陸地方は、震災前から行きたいとは思っていた。しかし、交通の便が気難しく時間もお金も非常に多くかかるためなかなか足が向かずにいた。足踏みしているうちに5年前の津波である。
それ以来、三陸には「遊びに行っていいのかな?歓迎されないのでは?」というイメージが張り付いてしまった。
わたしは警戒心が強く底意地の悪い性格であるため、自分をベースにして一般的な他人の心を想像するとどうしても悲観的になってしまう。「何の苦労も知らない余所者が呑気に遊びに来てからに!」という類の拒絶感を想像し、へらへらとレジャーに行くことで誰が傷ついたり嫌な思いをするのではないかという心配で頭がいっぱいになる。もちろん、現地でお金を使い、経済的に貢献することが直接的にためになることだというのは知識として知っている。しかし、それは一歩間違えれば「行ってお金を使ってやる。ありがたく思え。」というスタンスのような誤解を招きやすく、訪れる側が主張するには危うい理屈でもある。
旅行に行きたいから行く、本当はそれだけでよいのだろうが、付随するものが複雑すぎて、わたしはやはり三陸地方を意図的に避けていた。

しかし、この春その複雑な事情を吹き飛ばす強い目的が発生した。
親戚の縁や、何かの祭りなど、土地や時期に大きな強制力のはたらく事情ではなく、ほんとうに単なる個人的な趣味の領域だ。
それは、釣りである。

釣り仲間が仙台に転勤してしまい、しばらくご無沙汰していたが、この5月はどうしても自然の中で思い切り遊びたい気分だったのだ。
長い連休をとった。連休の前半は休養に充て、気力も体力も満ちたころ、よいしょと釣竿を背負い新千歳から飛ぶこと1時間、仙台空港へ。
さて、仙台市にほど近い松島湾も防波堤釣りには適したロケーションだ。しかし何しろ大都市近郊なので釣り人も多く魚の警戒心も高い。わたしのような素人では、雑魚もかからない可能性がある。
また、少し足をのばした石巻津波の被害が大きく、港湾のほとんどが工事現場となっているようだ。相棒はいちど行ってみたが坊主を叩いていると言っていた。

そこで、わたしから2泊3日の三陸リアス海岸ファイトを提案した。日本海側という手もあったのだが、釣り人にとって三陸海岸とはロマン溢れる魚の楽園なのだ。
相棒は「震災後の」仙台にやってきた余所者として多くの傷に直に触れているため、三陸という地名に少し躊躇いをみせたが、たっての願いに応じてくれた。
もともと三陸はとりわけアイナメをはじめとする根魚の聖地。瓦礫の撤去や港湾の整備もいくらか進んだ今、魚たちも静かな暮らしを取り戻してきているのではと思い(まあ、釣りというのは魚たちの静かな暮らしを脅かすものなのだが)すこしばかりお邪魔させていただいた。
そもそも釣りというレジャーは漁師の方たちからみれば仕事の邪魔だし、針を落とせばゴミとなるし、海にドボンと落ちれば海上保安庁のお世話になるし、釣られた魚はびっくりしてかわいそうだし、考えればきりがないほど傍迷惑なものである。せめて、マナーを守り、安全と環境に配慮した釣り人であろうと意識しつつ、地元の方々や海の神様から大切な資源をお借りして楽しませていただいている。そういうスタンスであることをまずエクスキューズしておく。

結論からいえば、釣果はすばらしく、自然は美しく、人々はたくましく、見るもの全てに心を動かされた。
いかなる意味付けもむなしいほどの現実がひたすらに続いていた。

山田湾では湾内いっぱいに牡蠣や帆立の養殖棚が並び、道の駅も飲食店も大盛況である。
釜石では、巨大な防潮堤の建設が夜を徹して行われ、地元の温泉宿には作業員の長期滞在を示唆する張り紙が。
クロソイは食欲旺盛、身の丈ほどあるルアーに齧りつく。透きとおった海には緑なす海藻の森と、森の住人ムラサキウニ
ヘラクレスが南の空で巨大蟹を踏みつぶすころ、赤く細い下弦の月が東の空に顔を出す。
早朝には海上保安庁の職員たちの掛け声、国道45号線は岩手ナンバーの家族連れで溢れる。
斜面には仮設住宅の軒先に洗濯物が並び、単管バリケードのアニマルガードは数え切れない賑やかさで立ち並んでいる。
目まぐるしく変わる道路の位置にカーナビは追随できず、新しい路盤は滑らかで、ところどころに残された主なき瓦礫とのコントラストが印象的であった。

旅好きの知人はみんな言う。
「旅先で想像する。ここで生まれ育ったら、わたしの人生はどんなふうになっていたのだろう」

わたしは決まって言う。
「あんがい今と同じようなことしてるよ、きっと」

嘘のように穏やかな海と白い切り口の断崖がつくり出す南リアスの海岸線。鳴り響く重機の音に、わたしは2度ほど大きく頷いた。



今回の旅の教科書にした
三陸たびガイド」


何にも教えられないよ

建築家になりたい人に建築を教える。
医者になりたい人に医術を教える。
芸能人になりたい人に芸を教える。

それは難しいのだ。

建築をやるために建築家になる必要がある。
医術をやるために医者になる必要がある。
芸をやるために芸能人になる必要がある。

これならばわかる。
しかし。

建築をやりたいなら建築家になる前から線を引いている。
医術をやりたいなら医者になる前から生き物を見ている。
芸をやりたいなら芸能人になる前から体を動かしている。

人間になりたい人に遊びを教える。
それは難しいのだ。
遊ぶためには人間になる必要がある。
これならばわかる。
しかし。
遊びたいなら人間になる前からよそ見をしている。

何かにならないとそれができないならば、あなたがやりたいのは、あなた以外の何かになることだ。

何かにならなくても既にやっていることがあれば、あなたはあなた以外の何かになる必要はない。

名前のない仕事をすればいい。
夢中でそれをやればいい。
逃げたきゃとことん逃げればいい。
わたしはあなたを褒めない。
褒められなくともやらずにいられない人間だけが残ればいい。


その行為に設計という名前があることを知る前からわたしは何かを設計していた。
わたしに設計は教えられない。
わたしは生まれながらにして設計者だったからだ。
暇だから設計している。
暇さえあれば考えている。
楽だからここにいる。
言いたいことを言う。
言った責任はとる。
間違えたら謝る。
疲れたらサボる。
病気になれば治す。
欲しければお願いする。
断られれば代わりの何かを差し出す。
会社の金で、他人の力で暇をつぶしている。

できればあなたにもそうしてほしい。
あなた以外の何かであるために黙って我慢しているの、わたしは知っている。
若い時間は有限だ。
まだ青春の最中だ。
もっと傷つけ。
立ち向かえ。
負けろ。
泣け。
怒れ。
よそ見して遊んで、まずはあなたという人間になってくれ。
そこからがスタートだ。

魚肉で車輪の再発明

魚肉ソーセージを皆さんはどの程度の頻度でお召し上がりか。

わたしはもう3年近く食べていない。何故か。
それは、おつまみコーナーでの物色レースでピリ辛チーカマにいつも競り負けるからである。
呑んべえにとって「ピリ辛」「チーズ」「魚肉」は単体でも非常に破壊力のあるコンテンツであり、3C2=3通り、例えば「ピリ辛すり身」「さけるチーズとうがらし味」「チーズタラ」どの組み合わせもすばらしい。それもそのはず、ピリ辛はスパイス、チーズは脂肪、魚肉はアミノ酸、すべて人間の脳を白痴に陥れる麻薬ばかりだ。すなわちアルコールとの相性はシド&ナンシーであり、その先には破滅しかない。

しかし、思い出してほしい。いや、わたし自身こそが思い出すべきだ。魚肉ソーセージがおやつのホームラン選手だった子供時代を。オレンジ色の皮を開けやすくするためのアタッチメントシールなど貼られていなかった昭和の時代を。ちなみにあの皮は正式名称を「人工ケーシング」というらしい。ウィキペディアが人類の宝であることを思い知らない日はない。
あの金属の部分ごと口に含み、犬歯でケーシングを破ると、その反動で金属が硬口蓋に当たり、痛い。やっとの思いで、綴じ目に沿って皮をはぐと、今度は皮の内側に魚肉がへばり付き、悔しい。前歯でそれを削いで食べると「卑しい」「汚い」と母親になじられ、悲しい。魚肉ソーセージの思い出は美味しいばかりではなく、どこかほろ苦い。しかし、歯触りの柔らかさ、亜硝酸塩の添加された淡いピンク色、持ちやすさ、様々な面で子供が喜ぶツボをおさえている。また、前回の竹輪同様、費用対容積に優れたエコノミックフードである。正直なところを申し上げると、肉より好きだった。
ちなみに似た食べもので、獣肉寄りのボロニアソーセージや、塊のフィッシュバーガーなどもあるが、前者が我が家の食卓に上るのは平成に入ってから、後者に至っては成人後に他人の食卓でその存在を知った。

では魚肉ソーセージに復権はあり得るのか。大人になってしまった今、それに不可欠なのはずばり前述の脂肪とスパイスだ。問題はどのように添加するかである。加熱前の種をケーシングする際、中心部に芯としてチーズを挿入するのはおそらく難しいのであろう。チーカマのチーズもボロニアソーセージの脂肪も、ダイス状にされ、種に混ぜ込んである。
では、ここで逆転の発想をしてみよう。出来上がった魚肉ソーセージに衣をつけて揚げるのだ。そして、スパイシーな何かを添付する。ここはマスタードか何かにしてみようか。さらに人類の脳内麻薬を分泌させる第4の刺客、「糖分」を加える。トマトケチャップの出番だ。最後の仕上げに食べやすいよう、串に刺してみてはどうか。

最強の料理が誕生してしまった。
これは世紀の大発見であり、ブログなどに綴ってしまってよかったのか、甚だ悩ましいところである。

竹輪とわたし

竹輪が好きなわけではないのだが、時々無性に食べたくなる。
わたしには竹輪の存在意義がよくわからない。板かまぼこではだめなのか。焼きが必要ならば笹かまのようなフォルムでもよいのではないか。
おでんの竹輪が好きという者もいるが、おでん種はもともと味が薄く、汁が染み込んでいく方向性の大根、卵、こんにゃくなどがうまいのであり、出汁に旨味が溶け出す竹輪や薩摩揚げなどは分が悪いのではないか。おでん種としてのそれらより、単体でのそれらを炙ったものの方が圧倒的に有利なはずである。
しかし、竹輪がそのポテンシャルを如何なく発揮するステージがある。それが弁当だ。冷めても味が濃く、何においても穴の部分にキュウリを詰めるなどの細工ができるという、他の追随を許さない特異点を弁当箱の中で誇示する。しかもその費用対容積は肉の出る幕など一分たりとも許さないほど家計を優しく妖しく誘惑する。多くの日本人は保育園、幼稚園あるいは小学校の遠足で、竹輪弁当に洗脳され、自身の食習慣に彼等の闖入を黙認することとなる。これからも竹輪は当然許されたような顔をしてスーパーの蒲鉾コーナーに鎮座し、我々のお財布事情へダイレクトに語りかけてくるのだ。
かくして、奇天烈な魚肉の加工品はわたしたちの潜在意識下に棲みつくこととなり、数ヶ月に一度ほど酒の共として登場するに至る。ちくわのともである。

なお、わたしは関東圏の出身ではないため、ちくわぶに関してはこの限りではない。

休める時期がやってきた

こ、今週末は金曜日に有休をとって3連休にしたったどー。
2日間はゆっくり休んで、3日目には図書館くらいに行けるといいなあ。
やりたいことが少し湧いてきて、そのための調べ物とかもできるといいなあ。

とりあえずは欲張らず、たっぷり寝て休もう。ワイはやればできる子で、ここ一番の勝負運がわりとあるので、焦らなくても最後はいい結果になるような気がする。

謎の不眠で明け方まで眠れなかったのに朝ちゃんと起きられたため、正味3時間しか寝てないのに妙にハイだったから頓服の安定剤をのんだ。毎日めまぐるしく変わる体調に振り回されるのは面倒だ。
けど、身体が何か言いたがっているのだろう。しっかり耳を傾けねば。またサボタージュされるのはごめんだ。