サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

実学でなく

学問がしたい。

aをいかにbにするかばかり考えて生きてきた。
aがいかにしてaたりえるか、aがbでないこと、aとは。

もっと知りたい。ずっと考えたい。

卒論の発表で工学部の教授が言った、
「何の役に立つの?」

役に立たない事が知りたい。役とは何かを考えたい。

誰がためにパンを焼く

ただぼんやりと、目の前の飢えたひとに自分の顔を千切って与えてきただけの2人が出会って、いつもお互いの半分になってる顔を遠くから確認して、「今日も半分だね」「そっちこそ」って言い合いながら暮らしている。
脊髄反射で漫然と顔を分け与えるシステムが組み上がっているため、焼いても焼いてもまだ足りない。
こちらのパン工場は、既に生産能力を超えた需要の前に熱疲労をおこしている。

悪いひとにまでどうして分け与えるんだと友達にはよく怒られるけど、飢えたひとを見分けるセンサーしかついてないからです。分け与えた後のことは、あまり考えていない。考えるべきだと言われても、そういうシステムになっていないもので。
でも、パンなのかカバなのか、見分けられるようにはなったかも。すこし賢くなりました。

身近なひとにはパン工場を大切にしろと言われるが、パンの供給量を心配してるのかなとしか思えない。いや逆で、つまるところわたしはパンの供給能力を増やすことしかあまり興味がないのかもしれない。

だが、わたしは半分の君に自分の残り半分の顔を与えてしまいたいのに、パン野郎はぜったいに受け取ってはくれない。
受け取ってくれないなら、お前の残り半分をよこせと言ってみたが、くれなかった。

パンを焼くのは好きだが、食べるだけのカバたちの世話はつまらない。

雑菌に侵された顔を分け与えていけば、カバもうさぎもいなくなってくれるのかな。
でも、カバもうさぎもいない世界になればパンを焼く意味がなくなってしまう。

まいにち半分になってしまうところを5分の3に抑える努力はしているが、このままでは小ざるが棲みつく前にパン工場の屋根が壊れてしまうのではないだろうか。小ざるが棲みつけばパンの供給量もさらに減るしなあ。もうこのまま工場ごと黴びるに任せてしまおうか。

ちなみに中身の具はカレーです。
スパイスがいささか強すぎてなかなか菌が住み着かない。方や、もう片方のあんこは糖分多すぎてこれまた腐敗しない。
どちらにしても小ざる向きのメニューではないよなあ。

切羽が詰まらにゃ尻も上がらぬ

本日は通院日。イライラすることを相談すると、頓服で抗不安薬を増やしてくれた。
薬が増えるのはなんとなく悪化しているようで微妙な心持ちなのだが、療養に専念できた前回と、足を止めずに治そうとしている今回は事情が違うのだ。飲もうではないか、薬を。もうすぐすれば様々な色々(なんのこっちゃ)が報われて、すこし仕事も休めるのだから。

病気のためにやれることはやっている。できない仕事は断り、嫌なことは嫌だなあと口に出したうえで他人を巻き込んで勢いで処理している。やらなきゃいけないことの先延ばしがいちばんのストレスだ。行けたら行く、やれたらやる。
どうしてもやらなきゃいけないことは、最短手順ですぐやるか、他の人にやってもらう。即決できない難しいことは今日はできないと割り切って1日寝かせて取り組む。そのための猶予を交渉する。口癖は、「それ、いつまでですか?」
忘れちゃいけないことはスマホのリマインダーでポップアップするようにしている。服薬、通院、請求書の締め日、チケットの発売日…などなど。安心して忘れていられる。
買い物はぜーんぶ日曜日に自宅に届くようにネットで注文。お化粧しておしゃれしてショッピングに行けるのはいつになることやら。
仕事中は大好きなカフェインたっぷりのブラックコーヒーはお休みして、リラックス作用のあるハーブティーに。あと、咀嚼で脳を刺激するためにガムをよく噛んでいる。

って、羅列して思ったのだが、これってただの忙しいサラリーマンの必勝仕事法みたいなやつではないのか?
わたしは健康な時はその手の啓発に関しては「そんな意識高いこと、実行出来るはずないだろ!解散解散!!」と毒づくような人間だが、命がかかっていれば人の行動は変わるものだ。ちなみに、気分障害は不定期でふわっと死にたくなるので、基本的には命に関わる病気という認識でいる。いかに自己嫌悪や罪悪感、焦燥、堂々めぐりからくる「死にたさ」から気を逸らすか、そこが長期にわたる療養の肝だ。

工夫さえすれば生活は楽になる。いちばん難しいのは、今自分がつらいということに気づくことだ。いま、わたしはつらいか、と聞かれれば、つらい。
これまでつらくない時はほとんどないほどいつも慢性的に何かがつらいので相対的には…だとか、ついごちゃごちゃと言い訳してしまうが、今に目を向ければ今はつらい。
ではどうすればつらくなくなるか、いまいち想像はつかないけど、親しい人と夢中で何かを話して笑っている時はつらくない。もともとわたしは外向的な性格なのに脳のつくりがしっくりこなくて、大人になってからは特定の人としかうまく付き合えなくなってしまった。理解されなかったり誤解されたり、避けられたり、怖がられたりで寂しい寂しい!
そういや寂しいって社交辞令以外でしばらく言ってねえな!!

お菓子を食べればいいじゃない

今週、人が家に来ることになっている。一泊だ。
以前うちに住んでいた人間なので、わたしの家事能力の低さはよく知っている。いや多分、当人はわたしについて家事能力が低いとはさほど思っていないのだが、わたし自身の家事というものへのコンプレックスを理解してくれている。あと、わたしが「コンプレックス」という単語を発すると、バカのひとつ覚えのように吉川晃司の肩パッドについて言及する好人物だ。なるほどあの肩パッドの前では、すべての悩みがバカバカしくなる。
まあ、そんなんでわたしが苦手なこと(主に掃除)はほとんどやってもらっていた。
ので、今更恥ずかしさを感じることもないのだが、掃除ができない自分を惨めに感じるのがつらいから、予防線をはっておいた。掃除が間に合わなかったらビジネスホテルに泊まろうという依頼だ。
これで、「ねばならない」タスクが「やれたらやる」に降格した。
ちゃんと掃除ができたら自分を褒めよう。出来なければ市内のホテルに泊まるという非日常を楽しもう。これならばどっちになってもすてきだ。先立つもの、つまり、ある程度自由になる金ありきの話ではあるが。パンが無いならお菓子!家がダメならホテルに泊まればいいじゃない!
こうやって持っているリソースを活用して少しずつストレスを減らしていけばいいんだな。
今日、生きるハードルが少し下がった。

追記
コメント欄のとおり「やれたらやる」がさらに「やらなくてもいい」に降格しました。やってもらうことを素直に喜べる自分でありたい。「これだけやってやったんだから返せ」と要求しない人とだけ付き合える幸せな人でいたい。
持っているリソースのうち、最強のものは、金ではなく、人間関係だということがわかりました。ほんとは結構恵まれているんだよなあ。
ううう…日々かしこくなっていきます。ヒントをありがとうございました。感謝しきりです!

おかえりなさい、怒りんぼ

会社で、近年稀に見る規模の癇癪をおこした。

前からいるメンバーは、わたしがその類の超低沸点野郎だということは知っていたはずだが、この1年くらいの人はびっくりしたかもしれない。中小企業なんてそんなもんよホホホホ!
何かが得意な人はすごく苦手な他の何かを抱えている。赤点のない人は立派な会社で働けばいい。わたしは工夫と理屈のごり押しにより最短の手順で物事をブリブリ動かすのは得意だけれど、情緒不安定でミスも多く、とてもいじわる。いじわるだから優しくもできるし、冗談も言えるし、悪者にもなれる。

抑うつ「は」順調に回復している。
その背後のもっとヤバいやつが元気になってきた。それも含めて自分のはずなのに、長らく無視された自分が怒り狂っている。あなたの怒りはごもっとも。もう鎮まれなんて言わないから大丈夫。すこしの間、周りの他人には我慢してもらおう。我慢できないやつが文句言ってきたら、戦って勝てばいい。一兵卒からどんなに嫌われようと今までの頑張りがあるからお客も発注先も会社の上層もわたしの味方だぜウハハハハ!権力が全てじゃ!!(モラハラ気質)

そもそも、わたしはもっと嫌な奴だったじゃないか。高慢ちきで、頑固、誇大妄想の塊、惚れっぽく不貞、倫理観に欠け、大人を挑発してイラつかせる天才。
それでも社会はまわるし、成果物さえきちんと出せばクビにはならないだろう。クビになったらまた仕事を探そう。いや、自分で何かを始めよう。世の中小企業経営者は社会不適合者ばかりだし、きっとなんとかなる。
わたしは性根は間抜けな親切ものなので、長い付き合いをしているうちにわかる人はわかってくれる。いまは身近な理解者たちがみーんな遠くに行ってしまっているから不安で苦しい。
でも、それはずっと続くわけではない。それに、遠くにいても励ましてくれるし、愚痴を聞いてくれるし、直接助けてくれることもある。

北国の雪解けは行ったり来たりでまだまだ先だが、つむじ風が運ぶかすかな春の足音はもうすぐそこにせまっている。
ただなんというか、今年の冬は、荒い!きつい!暴力的!(略してAKB)

断り下手のぎこちなさ

断る努力をしている。

わたしはいわゆる間抜けなお人好しで、面倒な頼みごとをついついいつも引き受けてしまう。また、聴覚情報の取捨選択が出来ないので、こちらで解決策を持っているような問題を立ち聞いては他人の話に首を突っ込んでまでおせっかいをやいてしまうこともある。
そうしないと、役立たずは木槌で殴られて殺される妄想の世界では生きてゆけないのだ。った。
しかし、毎日何時に会社に来れるかわからない人になってしまった現状でもまだ殺されてないので、今後も多分大丈夫なような気がするのだ。
薬の副作用なのか、治りかけだからなのか悪化しているのかPMSなのか、よくわからないのだがとにかく毎日イライラする。
必要性を感じない面倒な計算の依頼を「できない」と断り、行きたくもない同窓会の幹事の依頼を「断る」と断った。どちらも一番の理由は依頼の仕方が気に入らなかったからなのだけれども。

お金がもらえるビジネスの話は、多少面倒だったり見積りが苦手でも、チャレンジしたい気持ちがわく。それは逆に「やるぞ!」という心の栄養になる。

直感は理屈より正しい。というよりも、直感の正しさを固めるためにわたしはいくつでも理屈をひねり出せる。頼み方が嫌だなと思うのは、乱暴に言えばその人が嫌いだということだ。嫌いな人の言うことを聞いて、嫌いな人と一緒に何かをする時間はわたしにはもうない。

同窓会の幹事というのはBtoCのビジネスをやっている人間であれば頼み込んででもやりたい仕事だろう。または、政党関係や宗教関係の人間である。理由は簡単で、個人情報収集が捗るからだ。その辺りの下調べをせずにいきなりBtoBの技術職である(FBのプロフィールにそう書いてあるはずだ)わたしに何の儀礼的手順も対価の提示もなく頼んでくるようなとんまと何かを取り組むのなどストレスでしかない。わたしは普段なかなかピンと来ない人たちと仕事をしているが、それはその集団にわたしの神経質さを高値で売りつけているからだ。
わたしはあなたのこと、もうチェックしたよ。生命保険の営業、うまくいってる?

わたしに何かを差し出せる人としか今は付き合う余裕がない。それは、一言のねぎらい、プロによる誇らしげな苦労話、知らなかったかっこいいバンドの情報、食事や買い物のサポート、高度なダジャレ、社畜同士の深い共感、目の前で成長してゆく姿、ヤクルトの差し入れ、なんだっていい。
なにもくれないなら、わたしは断る理由さえ差し出さないよ。

だいたいいつも困ってる

薬が効き始め頭が回復してきて、自分が随分と長く不調だったことがわかった。ゆっくりと、くねくね坂を下るように少しずつ悪くなっていったようだ。
初診では今年に入ってから調子が悪いという申告をしたが、今週の受診でそれを訂正し、じつは半年以上調子が悪かったことに気づいたことを告げた。

異常と正常の境目は曖昧だ。
わたしは整理整頓が苦手で、失言も多く、興味のないことを我慢してやりとげるのが極度に苦手だ。周りからはそう見えないようだが、長い時間をかけて苦手な状況から逃げ回るのがとてもうまくなってしまったから、さもありなん、だ。しかし、逃げていることは自覚しているため、自責の念がいつも追いかけてくる。
もちろん、得意なことも多い。一見関係ないもの同士を複雑に結びつける能力、危機的な状況で冷静に問題解決の突破口を見つける能力、声色に表情をつけてすらすらと言語を出力する能力。どれも元々才能があった。そこに訓練を重ねてきた。給料も稼げている。

診断すれば自分がなんとかという障害の基準に引っかかることは予想できる。
小学校でも中学校でもベテラン教師のクラスに配され、通知表の生活面に多少何か小言が書かれ、(自分としては)わけのわからないタイミングでよく怒られた。夏休みの宿題は算数だけいつも提出できなかった。そもそも教科書のどこの範囲が宿題なのかもいまいち整理できていなかった。ランドセルや机の奥には黴びたパン、1時間目が水泳授業で服の下に水着を着て行った日はパンツを忘れ、習字の筆はガビガビ、時間割どおりに教科書を用意できなかったのでランドセルはいつもずっしり重かった。
家庭では3人きょうだいの真ん中で放置ぎみに育てられたため、とくにその辺のフォローは無かった。周りの女の子はみんな出来ていたのに、わたしだけドジなほうの男の子並だった。そういえば同じレベルの女の子もいたが、今から思えば、きょうだいが多い家庭の長女だった。わたしはとにかく人並みのことができなかった。でも、それは助けが必要なレベルの出来なさではなかった。

勉強は違った。授業は板書ができなかったし、手が勝手に教科書やノートに落書きをしていたが、先生が話した内容を全部覚えていたので、自宅学習はしなかったがテストはほとんど満点に近い点数だった。漢字の書き取りと算数の計算問題を除き。
勉強は出来るし褒められるし、内容も面白いので、5年生から親にお願いして英語塾に通わせてもらった。
家ではお父さんがどの教科でも教えてくれた。とくに、理科は高校で習うような内容まで踏み込んで教えてくれた。わたしは理科が大好きになり、すごく得意になっていった。計算問題を除き。

中学に入ってからは少し落ち着きがでたような気がする。毎日部活でヘトヘトだったからかもしれない。その代わり、とにかく毎日眠かった。これは大学生になっても続いた。夜にどんなに寝ても、授業中に眠いのだ。先生にはよく怒られたが、わたしは本当に困っていた。みんなは我慢して起きているのに、どうしてわたしは我慢できないのだろうと思っていた。

わたしは基本的にいつも自分が周りより劣っているような気がして、いつも何かに困っている。困ったり悩んだり自分を責めているのが基本なので、いつから調子が悪かったのかなんて、もうわからない。
物心ついて、しゃべり始める前にはもう困っていた。調子が悪かった。

調子がいいのは、そう、あの何時間でも集中できる波が来た時だけだ。高校と大学を卒業できたのはそれのおかげだ。でも、あれの後は酷く疲れる。受験勉強も設計課題もあれをつかって乗り切った。6時間半、設計製図をし続ける資格試験もあれのおかげでうまくいった。

先週、半年ぶりにあれが使えた。脳が治ってきている証左だ。
でも、あれはきっと寿命を削っている。だから新卒のころ、怖くて設計職を選ばなかったんだ。
結局回り道して設計職になってしまったな。わたしはあまり長生き出来ないな、と、漠然と思う。