サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

お菓子を食べればいいじゃない

今週、人が家に来ることになっている。一泊だ。
以前うちに住んでいた人間なので、わたしの家事能力の低さはよく知っている。いや多分、当人はわたしについて家事能力が低いとはさほど思っていないのだが、わたし自身の家事というものへのコンプレックスを理解してくれている。あと、わたしが「コンプレックス」という単語を発すると、バカのひとつ覚えのように吉川晃司の肩パッドについて言及する好人物だ。なるほどあの肩パッドの前では、すべての悩みがバカバカしくなる。
まあ、そんなんでわたしが苦手なこと(主に掃除)はほとんどやってもらっていた。
ので、今更恥ずかしさを感じることもないのだが、掃除ができない自分を惨めに感じるのがつらいから、予防線をはっておいた。掃除が間に合わなかったらビジネスホテルに泊まろうという依頼だ。
これで、「ねばならない」タスクが「やれたらやる」に降格した。
ちゃんと掃除ができたら自分を褒めよう。出来なければ市内のホテルに泊まるという非日常を楽しもう。これならばどっちになってもすてきだ。先立つもの、つまり、ある程度自由になる金ありきの話ではあるが。パンが無いならお菓子!家がダメならホテルに泊まればいいじゃない!
こうやって持っているリソースを活用して少しずつストレスを減らしていけばいいんだな。
今日、生きるハードルが少し下がった。

追記
コメント欄のとおり「やれたらやる」がさらに「やらなくてもいい」に降格しました。やってもらうことを素直に喜べる自分でありたい。「これだけやってやったんだから返せ」と要求しない人とだけ付き合える幸せな人でいたい。
持っているリソースのうち、最強のものは、金ではなく、人間関係だということがわかりました。ほんとは結構恵まれているんだよなあ。
ううう…日々かしこくなっていきます。ヒントをありがとうございました。感謝しきりです!

おかえりなさい、怒りんぼ

会社で、近年稀に見る規模の癇癪をおこした。

前からいるメンバーは、わたしがその類の超低沸点野郎だということは知っていたはずだが、この1年くらいの人はびっくりしたかもしれない。中小企業なんてそんなもんよホホホホ!
何かが得意な人はすごく苦手な他の何かを抱えている。赤点のない人は立派な会社で働けばいい。わたしは工夫と理屈のごり押しにより最短の手順で物事をブリブリ動かすのは得意だけれど、情緒不安定でミスも多く、とてもいじわる。いじわるだから優しくもできるし、冗談も言えるし、悪者にもなれる。

抑うつ「は」順調に回復している。
その背後のもっとヤバいやつが元気になってきた。それも含めて自分のはずなのに、長らく無視された自分が怒り狂っている。あなたの怒りはごもっとも。もう鎮まれなんて言わないから大丈夫。すこしの間、周りの他人には我慢してもらおう。我慢できないやつが文句言ってきたら、戦って勝てばいい。一兵卒からどんなに嫌われようと今までの頑張りがあるからお客も発注先も会社の上層もわたしの味方だぜウハハハハ!権力が全てじゃ!!(モラハラ気質)

そもそも、わたしはもっと嫌な奴だったじゃないか。高慢ちきで、頑固、誇大妄想の塊、惚れっぽく不貞、倫理観に欠け、大人を挑発してイラつかせる天才。
それでも社会はまわるし、成果物さえきちんと出せばクビにはならないだろう。クビになったらまた仕事を探そう。いや、自分で何かを始めよう。世の中小企業経営者は社会不適合者ばかりだし、きっとなんとかなる。
わたしは性根は間抜けな親切ものなので、長い付き合いをしているうちにわかる人はわかってくれる。いまは身近な理解者たちがみーんな遠くに行ってしまっているから不安で苦しい。
でも、それはずっと続くわけではない。それに、遠くにいても励ましてくれるし、愚痴を聞いてくれるし、直接助けてくれることもある。

北国の雪解けは行ったり来たりでまだまだ先だが、つむじ風が運ぶかすかな春の足音はもうすぐそこにせまっている。
ただなんというか、今年の冬は、荒い!きつい!暴力的!(略してAKB)

断り下手のぎこちなさ

断る努力をしている。

わたしはいわゆる間抜けなお人好しで、面倒な頼みごとをついついいつも引き受けてしまう。また、聴覚情報の取捨選択が出来ないので、こちらで解決策を持っているような問題を立ち聞いては他人の話に首を突っ込んでまでおせっかいをやいてしまうこともある。
そうしないと、役立たずは木槌で殴られて殺される妄想の世界では生きてゆけないのだ。った。
しかし、毎日何時に会社に来れるかわからない人になってしまった現状でもまだ殺されてないので、今後も多分大丈夫なような気がするのだ。
薬の副作用なのか、治りかけだからなのか悪化しているのかPMSなのか、よくわからないのだがとにかく毎日イライラする。
必要性を感じない面倒な計算の依頼を「できない」と断り、行きたくもない同窓会の幹事の依頼を「断る」と断った。どちらも一番の理由は依頼の仕方が気に入らなかったからなのだけれども。

お金がもらえるビジネスの話は、多少面倒だったり見積りが苦手でも、チャレンジしたい気持ちがわく。それは逆に「やるぞ!」という心の栄養になる。

直感は理屈より正しい。というよりも、直感の正しさを固めるためにわたしはいくつでも理屈をひねり出せる。頼み方が嫌だなと思うのは、乱暴に言えばその人が嫌いだということだ。嫌いな人の言うことを聞いて、嫌いな人と一緒に何かをする時間はわたしにはもうない。

同窓会の幹事というのはBtoCのビジネスをやっている人間であれば頼み込んででもやりたい仕事だろう。または、政党関係や宗教関係の人間である。理由は簡単で、個人情報収集が捗るからだ。その辺りの下調べをせずにいきなりBtoBの技術職である(FBのプロフィールにそう書いてあるはずだ)わたしに何の儀礼的手順も対価の提示もなく頼んでくるようなとんまと何かを取り組むのなどストレスでしかない。わたしは普段なかなかピンと来ない人たちと仕事をしているが、それはその集団にわたしの神経質さを高値で売りつけているからだ。
わたしはあなたのこと、もうチェックしたよ。生命保険の営業、うまくいってる?

わたしに何かを差し出せる人としか今は付き合う余裕がない。それは、一言のねぎらい、プロによる誇らしげな苦労話、知らなかったかっこいいバンドの情報、食事や買い物のサポート、高度なダジャレ、社畜同士の深い共感、目の前で成長してゆく姿、ヤクルトの差し入れ、なんだっていい。
なにもくれないなら、わたしは断る理由さえ差し出さないよ。

だいたいいつも困ってる

薬が効き始め頭が回復してきて、自分が随分と長く不調だったことがわかった。ゆっくりと、くねくね坂を下るように少しずつ悪くなっていったようだ。
初診では今年に入ってから調子が悪いという申告をしたが、今週の受診でそれを訂正し、じつは半年以上調子が悪かったことに気づいたことを告げた。

異常と正常の境目は曖昧だ。
わたしは整理整頓が苦手で、失言も多く、興味のないことを我慢してやりとげるのが極度に苦手だ。周りからはそう見えないようだが、長い時間をかけて苦手な状況から逃げ回るのがとてもうまくなってしまったから、さもありなん、だ。しかし、逃げていることは自覚しているため、自責の念がいつも追いかけてくる。
もちろん、得意なことも多い。一見関係ないもの同士を複雑に結びつける能力、危機的な状況で冷静に問題解決の突破口を見つける能力、声色に表情をつけてすらすらと言語を出力する能力。どれも元々才能があった。そこに訓練を重ねてきた。給料も稼げている。

診断すれば自分がなんとかという障害の基準に引っかかることは予想できる。
小学校でも中学校でもベテラン教師のクラスに配され、通知表の生活面に多少何か小言が書かれ、(自分としては)わけのわからないタイミングでよく怒られた。夏休みの宿題は算数だけいつも提出できなかった。そもそも教科書のどこの範囲が宿題なのかもいまいち整理できていなかった。ランドセルや机の奥には黴びたパン、1時間目が水泳授業で服の下に水着を着て行った日はパンツを忘れ、習字の筆はガビガビ、時間割どおりに教科書を用意できなかったのでランドセルはいつもずっしり重かった。
家庭では3人きょうだいの真ん中で放置ぎみに育てられたため、とくにその辺のフォローは無かった。周りの女の子はみんな出来ていたのに、わたしだけドジなほうの男の子並だった。そういえば同じレベルの女の子もいたが、今から思えば、きょうだいが多い家庭の長女だった。わたしはとにかく人並みのことができなかった。でも、それは助けが必要なレベルの出来なさではなかった。

勉強は違った。授業は板書ができなかったし、手が勝手に教科書やノートに落書きをしていたが、先生が話した内容を全部覚えていたので、自宅学習はしなかったがテストはほとんど満点に近い点数だった。漢字の書き取りと算数の計算問題を除き。
勉強は出来るし褒められるし、内容も面白いので、5年生から親にお願いして英語塾に通わせてもらった。
家ではお父さんがどの教科でも教えてくれた。とくに、理科は高校で習うような内容まで踏み込んで教えてくれた。わたしは理科が大好きになり、すごく得意になっていった。計算問題を除き。

中学に入ってからは少し落ち着きがでたような気がする。毎日部活でヘトヘトだったからかもしれない。その代わり、とにかく毎日眠かった。これは大学生になっても続いた。夜にどんなに寝ても、授業中に眠いのだ。先生にはよく怒られたが、わたしは本当に困っていた。みんなは我慢して起きているのに、どうしてわたしは我慢できないのだろうと思っていた。

わたしは基本的にいつも自分が周りより劣っているような気がして、いつも何かに困っている。困ったり悩んだり自分を責めているのが基本なので、いつから調子が悪かったのかなんて、もうわからない。
物心ついて、しゃべり始める前にはもう困っていた。調子が悪かった。

調子がいいのは、そう、あの何時間でも集中できる波が来た時だけだ。高校と大学を卒業できたのはそれのおかげだ。でも、あれの後は酷く疲れる。受験勉強も設計課題もあれをつかって乗り切った。6時間半、設計製図をし続ける資格試験もあれのおかげでうまくいった。

先週、半年ぶりにあれが使えた。脳が治ってきている証左だ。
でも、あれはきっと寿命を削っている。だから新卒のころ、怖くて設計職を選ばなかったんだ。
結局回り道して設計職になってしまったな。わたしはあまり長生き出来ないな、と、漠然と思う。

しゃべる機能はよいものだ

ココロボちゃんに関するブコメにスターいっぱいついたので、過去記事貼っときます。

わたしの中での究極のロボットは手塚治虫作品に出てくるロビタなので、やはり、一緒に暮らすなら心(と一般的に名付けられている人間の脳の機能)に訴えかけるものがいいなと思います。

あとはナデナデしたら喜ぶ機能と、さわり心地の良さをください。
あ、ココロボは他のロボット掃除機よりエッジが丸くて、それも凄くいいです。

こちらの心拍や体温を感じ取って、甘えてきたり、遊んでくれとせがんだりする、毛の生えた動くロボットもほしいです。わたしが留守にしている間にそいつが掃除ロボットの邪魔してるのをスマホから見れたりしたらなお良しです。

未来こい!

悲観的な可能性について。

昨日は寝起きもよく(実家で起こしてもらったため)午前中からとても調子が良かった。笑顔の表情も出て、問い合わせ電話を積極的にかけたり、部下への声かけもできた。集中力も多少でてきて、仕事が進んだ。
薬と休養は偉大だ。

ついつい調子にのって残業してしまった帰り道に、ある可能性について考えが及んだ。
統合失調症の発症についてである。
もともと父がこの病気なので、遺伝的な要素の少ない人よりは発症しやすい下地がある。前回の不調時は抑うつ症状のみであったため、「父とは違う病気」という思い込みがあった。
しかし、父が発症したのは40代の時である。
もしこのまま悪くなって、妄想症状が出て言動がおかしくなった時にいち早く気付いてくれそうな人が、普段の生活圏内にいない。
やはり実家に帰ったほうがいいのだろうか。それはそれでまた別のストレスがあるよなあ。

犬が歩いてぼた餅拾う

気まぐれに動き回ると良いことがある。

今日は夕方になっても調子が悪く、疑いや被害妄想がぐるぐる酷かったので、実家の母に電話をかけて、これから帰る旨を伝えた。こういう時は母親や祖母のディテールにこだわる割にオチのない話にこちらから時系列や前提条件への言及を交えて延々と聞き続けるのが一番脳にやさしいアトラクションだ。最終的に無茶な要求をしてくるか、こちらに結論を言わせて何かを押し付けようとしてくるのがわたしの普段の仕事相手の多数だが、幸い母も祖母も「喋りたい。聞いてほしい」だけなのでお茶の子さいさいだ。対価はあったかいごはんに高級な茶葉を丁寧に煎れたお茶。最高だ。わたしが帰れば実家の家族はみんな喜んでくれるし、誰もが幸せな素晴らしいアイディアである。せっかくの休みを一人で過ごし、終わらない不安や妄想とのシャドーボクシングに費やしては勿体無い。
手土産を何にしようか迷い、何気なく入った某TKハンズで、大好きなラブライブ!ステーショナリーグッズのフェアが開催されていた。このラブライブ!という作品、男性の大きなお友だちだけでなく、女子中高生が夢中になるのも頷けるのは、年頃の女の子が忌避する、女性性を弄ぶようなキモさが抑えられ、キャラクターの個性を引き出し最大限に可愛く描かれているからだ。主体的にがんばり、もっと可愛く、もっと輝きたいという前向きさをもったキャラクターたちに、感情移入しやすいのだろう。わたしの世代がセーラームーンに夢中になったのも、やはりかれらが悩みを抱えながらも主体的に動き、成長する可愛い女の子たちだったからだ。
かわいくなりたいという欲望は凄まじい。可愛さはネオテニーの一種だと漠然と思っている。可愛いものは大切だと思うように脳は出来ているから男も女ももっと可愛くなればお互いを大事にしてみんな幸せになれる、つまり「かわいいは正義」ってことだ。
さて、今回みたグッズはカスタマイズできる多色ボールペンの筒の部分だったのだが、アニメグッズというくくりで見れば特有の子供っぽさやダサさがなく、普通に使えるな、という印象をうけた。文具メーカーの商品開発というのはメインユーザーであるティーンの好みを知り尽くしているんなだあ、プロの仕事だなあとわくわくした。ちなみに、30オーバーの女史もほしいなとは思ったが、リフィルがフリクションでなかったので、だめでした。
そんなこんなで何も買わなかったのだが、偶然の嬉しい出会いがあり、少し心が癒された週末の夜だった。