サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

竹輪とわたし

竹輪が好きなわけではないのだが、時々無性に食べたくなる。
わたしには竹輪の存在意義がよくわからない。板かまぼこではだめなのか。焼きが必要ならば笹かまのようなフォルムでもよいのではないか。
おでんの竹輪が好きという者もいるが、おでん種はもともと味が薄く、汁が染み込んでいく方向性の大根、卵、こんにゃくなどがうまいのであり、出汁に旨味が溶け出す竹輪や薩摩揚げなどは分が悪いのではないか。おでん種としてのそれらより、単体でのそれらを炙ったものの方が圧倒的に有利なはずである。
しかし、竹輪がそのポテンシャルを如何なく発揮するステージがある。それが弁当だ。冷めても味が濃く、何においても穴の部分にキュウリを詰めるなどの細工ができるという、他の追随を許さない特異点を弁当箱の中で誇示する。しかもその費用対容積は肉の出る幕など一分たりとも許さないほど家計を優しく妖しく誘惑する。多くの日本人は保育園、幼稚園あるいは小学校の遠足で、竹輪弁当に洗脳され、自身の食習慣に彼等の闖入を黙認することとなる。これからも竹輪は当然許されたような顔をしてスーパーの蒲鉾コーナーに鎮座し、我々のお財布事情へダイレクトに語りかけてくるのだ。
かくして、奇天烈な魚肉の加工品はわたしたちの潜在意識下に棲みつくこととなり、数ヶ月に一度ほど酒の共として登場するに至る。ちくわのともである。

なお、わたしは関東圏の出身ではないため、ちくわぶに関してはこの限りではない。

休める時期がやってきた

こ、今週末は金曜日に有休をとって3連休にしたったどー。
2日間はゆっくり休んで、3日目には図書館くらいに行けるといいなあ。
やりたいことが少し湧いてきて、そのための調べ物とかもできるといいなあ。

とりあえずは欲張らず、たっぷり寝て休もう。ワイはやればできる子で、ここ一番の勝負運がわりとあるので、焦らなくても最後はいい結果になるような気がする。

謎の不眠で明け方まで眠れなかったのに朝ちゃんと起きられたため、正味3時間しか寝てないのに妙にハイだったから頓服の安定剤をのんだ。毎日めまぐるしく変わる体調に振り回されるのは面倒だ。
けど、身体が何か言いたがっているのだろう。しっかり耳を傾けねば。またサボタージュされるのはごめんだ。

実学でなく

学問がしたい。

aをいかにbにするかばかり考えて生きてきた。
aがいかにしてaたりえるか、aがbでないこと、aとは。

もっと知りたい。ずっと考えたい。

卒論の発表で工学部の教授が言った、
「何の役に立つの?」

役に立たない事が知りたい。役とは何かを考えたい。

誰がためにパンを焼く

ただぼんやりと、目の前の飢えたひとに自分の顔を千切って与えてきただけの2人が出会って、いつもお互いの半分になってる顔を遠くから確認して、「今日も半分だね」「そっちこそ」って言い合いながら暮らしている。
脊髄反射で漫然と顔を分け与えるシステムが組み上がっているため、焼いても焼いてもまだ足りない。
こちらのパン工場は、既に生産能力を超えた需要の前に熱疲労をおこしている。

悪いひとにまでどうして分け与えるんだと友達にはよく怒られるけど、飢えたひとを見分けるセンサーしかついてないからです。分け与えた後のことは、あまり考えていない。考えるべきだと言われても、そういうシステムになっていないもので。
でも、パンなのかカバなのか、見分けられるようにはなったかも。すこし賢くなりました。

身近なひとにはパン工場を大切にしろと言われるが、パンの供給量を心配してるのかなとしか思えない。いや逆で、つまるところわたしはパンの供給能力を増やすことしかあまり興味がないのかもしれない。

だが、わたしは半分の君に自分の残り半分の顔を与えてしまいたいのに、パン野郎はぜったいに受け取ってはくれない。
受け取ってくれないなら、お前の残り半分をよこせと言ってみたが、くれなかった。

パンを焼くのは好きだが、食べるだけのカバたちの世話はつまらない。

雑菌に侵された顔を分け与えていけば、カバもうさぎもいなくなってくれるのかな。
でも、カバもうさぎもいない世界になればパンを焼く意味がなくなってしまう。

まいにち半分になってしまうところを5分の3に抑える努力はしているが、このままでは小ざるが棲みつく前にパン工場の屋根が壊れてしまうのではないだろうか。小ざるが棲みつけばパンの供給量もさらに減るしなあ。もうこのまま工場ごと黴びるに任せてしまおうか。

ちなみに中身の具はカレーです。
スパイスがいささか強すぎてなかなか菌が住み着かない。方や、もう片方のあんこは糖分多すぎてこれまた腐敗しない。
どちらにしても小ざる向きのメニューではないよなあ。

切羽が詰まらにゃ尻も上がらぬ

本日は通院日。イライラすることを相談すると、頓服で抗不安薬を増やしてくれた。
薬が増えるのはなんとなく悪化しているようで微妙な心持ちなのだが、療養に専念できた前回と、足を止めずに治そうとしている今回は事情が違うのだ。飲もうではないか、薬を。もうすぐすれば様々な色々(なんのこっちゃ)が報われて、すこし仕事も休めるのだから。

病気のためにやれることはやっている。できない仕事は断り、嫌なことは嫌だなあと口に出したうえで他人を巻き込んで勢いで処理している。やらなきゃいけないことの先延ばしがいちばんのストレスだ。行けたら行く、やれたらやる。
どうしてもやらなきゃいけないことは、最短手順ですぐやるか、他の人にやってもらう。即決できない難しいことは今日はできないと割り切って1日寝かせて取り組む。そのための猶予を交渉する。口癖は、「それ、いつまでですか?」
忘れちゃいけないことはスマホのリマインダーでポップアップするようにしている。服薬、通院、請求書の締め日、チケットの発売日…などなど。安心して忘れていられる。
買い物はぜーんぶ日曜日に自宅に届くようにネットで注文。お化粧しておしゃれしてショッピングに行けるのはいつになることやら。
仕事中は大好きなカフェインたっぷりのブラックコーヒーはお休みして、リラックス作用のあるハーブティーに。あと、咀嚼で脳を刺激するためにガムをよく噛んでいる。

って、羅列して思ったのだが、これってただの忙しいサラリーマンの必勝仕事法みたいなやつではないのか?
わたしは健康な時はその手の啓発に関しては「そんな意識高いこと、実行出来るはずないだろ!解散解散!!」と毒づくような人間だが、命がかかっていれば人の行動は変わるものだ。ちなみに、気分障害は不定期でふわっと死にたくなるので、基本的には命に関わる病気という認識でいる。いかに自己嫌悪や罪悪感、焦燥、堂々めぐりからくる「死にたさ」から気を逸らすか、そこが長期にわたる療養の肝だ。

工夫さえすれば生活は楽になる。いちばん難しいのは、今自分がつらいということに気づくことだ。いま、わたしはつらいか、と聞かれれば、つらい。
これまでつらくない時はほとんどないほどいつも慢性的に何かがつらいので相対的には…だとか、ついごちゃごちゃと言い訳してしまうが、今に目を向ければ今はつらい。
ではどうすればつらくなくなるか、いまいち想像はつかないけど、親しい人と夢中で何かを話して笑っている時はつらくない。もともとわたしは外向的な性格なのに脳のつくりがしっくりこなくて、大人になってからは特定の人としかうまく付き合えなくなってしまった。理解されなかったり誤解されたり、避けられたり、怖がられたりで寂しい寂しい!
そういや寂しいって社交辞令以外でしばらく言ってねえな!!

お菓子を食べればいいじゃない

今週、人が家に来ることになっている。一泊だ。
以前うちに住んでいた人間なので、わたしの家事能力の低さはよく知っている。いや多分、当人はわたしについて家事能力が低いとはさほど思っていないのだが、わたし自身の家事というものへのコンプレックスを理解してくれている。あと、わたしが「コンプレックス」という単語を発すると、バカのひとつ覚えのように吉川晃司の肩パッドについて言及する好人物だ。なるほどあの肩パッドの前では、すべての悩みがバカバカしくなる。
まあ、そんなんでわたしが苦手なこと(主に掃除)はほとんどやってもらっていた。
ので、今更恥ずかしさを感じることもないのだが、掃除ができない自分を惨めに感じるのがつらいから、予防線をはっておいた。掃除が間に合わなかったらビジネスホテルに泊まろうという依頼だ。
これで、「ねばならない」タスクが「やれたらやる」に降格した。
ちゃんと掃除ができたら自分を褒めよう。出来なければ市内のホテルに泊まるという非日常を楽しもう。これならばどっちになってもすてきだ。先立つもの、つまり、ある程度自由になる金ありきの話ではあるが。パンが無いならお菓子!家がダメならホテルに泊まればいいじゃない!
こうやって持っているリソースを活用して少しずつストレスを減らしていけばいいんだな。
今日、生きるハードルが少し下がった。

追記
コメント欄のとおり「やれたらやる」がさらに「やらなくてもいい」に降格しました。やってもらうことを素直に喜べる自分でありたい。「これだけやってやったんだから返せ」と要求しない人とだけ付き合える幸せな人でいたい。
持っているリソースのうち、最強のものは、金ではなく、人間関係だということがわかりました。ほんとは結構恵まれているんだよなあ。
ううう…日々かしこくなっていきます。ヒントをありがとうございました。感謝しきりです!

おかえりなさい、怒りんぼ

会社で、近年稀に見る規模の癇癪をおこした。

前からいるメンバーは、わたしがその類の超低沸点野郎だということは知っていたはずだが、この1年くらいの人はびっくりしたかもしれない。中小企業なんてそんなもんよホホホホ!
何かが得意な人はすごく苦手な他の何かを抱えている。赤点のない人は立派な会社で働けばいい。わたしは工夫と理屈のごり押しにより最短の手順で物事をブリブリ動かすのは得意だけれど、情緒不安定でミスも多く、とてもいじわる。いじわるだから優しくもできるし、冗談も言えるし、悪者にもなれる。

抑うつ「は」順調に回復している。
その背後のもっとヤバいやつが元気になってきた。それも含めて自分のはずなのに、長らく無視された自分が怒り狂っている。あなたの怒りはごもっとも。もう鎮まれなんて言わないから大丈夫。すこしの間、周りの他人には我慢してもらおう。我慢できないやつが文句言ってきたら、戦って勝てばいい。一兵卒からどんなに嫌われようと今までの頑張りがあるからお客も発注先も会社の上層もわたしの味方だぜウハハハハ!権力が全てじゃ!!(モラハラ気質)

そもそも、わたしはもっと嫌な奴だったじゃないか。高慢ちきで、頑固、誇大妄想の塊、惚れっぽく不貞、倫理観に欠け、大人を挑発してイラつかせる天才。
それでも社会はまわるし、成果物さえきちんと出せばクビにはならないだろう。クビになったらまた仕事を探そう。いや、自分で何かを始めよう。世の中小企業経営者は社会不適合者ばかりだし、きっとなんとかなる。
わたしは性根は間抜けな親切ものなので、長い付き合いをしているうちにわかる人はわかってくれる。いまは身近な理解者たちがみーんな遠くに行ってしまっているから不安で苦しい。
でも、それはずっと続くわけではない。それに、遠くにいても励ましてくれるし、愚痴を聞いてくれるし、直接助けてくれることもある。

北国の雪解けは行ったり来たりでまだまだ先だが、つむじ風が運ぶかすかな春の足音はもうすぐそこにせまっている。
ただなんというか、今年の冬は、荒い!きつい!暴力的!(略してAKB)