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サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

インターネットで神頼み

理想の生活を本気で考えると近頃いつも同じ答えが出る。

身の回りの世話をしてくれるロボットと何か哺乳類の愛玩動物との、1人と1体と1匹暮らし。普段は半日寝て、本を呼んだりゲームやネットをして、たまに旅行をして、5年くらいで飽きて死ぬのが理想だ。

 

わたしは他人と接するのが億劫な性分で、大うつ病で1年くらい本格的に引きこもっていた時も、生身の人間にたいする恋しさはさほど感じなかった。ずっとインターネットで動画を見たりゲームをやったりして過ごしていた。出かける動機はほぼ全てが義務感だった。

インターネットはいい。特になにかをあげたりもらったりしなくても、なんとなく僅かな質量のある切れ端とつながっているような幻想をもっていられる。流れる水の中で手を伸ばし、周りに漂うハンカチの端をつまむような感覚だ。

わたしの大うつ病が快方へ向かうころ、集中力のトレーニングも兼ねてわたしは自分の書いた絵をインターネットにアップしていた。そこで知り合った同じ趣味のお友達はいまだにツイッターでゆるくつながっている。その頃とは生活がまるっきりかわってしまった現在のわたしが、数ヶ月ほとんどつぶやいていない時期を経ていても、何かの話題で彼らにメンションを飛ばせば当時と同じような調子でリプライが帰ってくる。わたしが今や彼らにとってなんの利益ももたらさない人間であっても、彼らのまぼろしを映し出すインターネットはわたしの虚像がそこを漂うことを許容してくれる。わたしも彼らにとってのハンカチの切れ端でいられるのだ。

 

さて、わたしは年に一度は一人旅をし、特に寺社仏閣を訪れるのを楽しみにしている。観光と信仰は別腹だ。わたしは大聖堂だって参っちまう仏教徒なんだぜ?

最近は御朱印なんかが流行っているが、わたしは断然、他人の書いた「絵馬」を見るのがすきだ。鈴なりにぶら下がった絵馬には、自分自身の受験や就職祈願から子の結婚を望む親の願い事、親の病気の平癒から世界平和を祈るものまで、中には何を願っているのかわからないがびっしりと長文が書き込もれたものなんかもある。また、願いが叶ったお礼を書き込まれているものもたまにある。神様にお祈りするくらいだからなかなか濃い内容のものが多く、飽きずについつい見入ってしまう。悪趣味?いやいやこれは神様のお手伝いである。願い事は大勢に見られたほうが叶いやすいのだよ。

わたしも年が明けたら「はやく家事ロボットが普及しますように」という絵馬を書いてみようか。俗っぽい願い事だが、きっと同じことを思っている人は多いに違いない。

 

こうなりゃついでにインターネットの大河にも願い事を書いたハンカチを流しておこう。こちらはどんなに俗っぽくても気後れしない。

はやく家事ロボットが普及しますように。

ネコと暮らせますように。

たくさん眠れますように。

 

お釈迦様、わたし煩悩をどうしても手放せません。