サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

わらわらと餓鬼が群がるお人好し

起)お人好しのしくみ

承)お人好しの処世術

転)施餓鬼としてのお人好し

結)お人好しを嘆かない

 

起)お人好しのしくみ

わたしはお人好しである。よく騙されて奪われて後悔するから、多分そうだ。断る力、ください。

お人好しというのは脳のある部分の連携が弱く、コミュニケーションにおいて瞬時に自分の不快感や要求をアウトプットできないという、能力の欠如である。少なくともわたしはそう思っている。

上記の仕様により、ぼやっとしているうちに相手の要求をのんでしまう。相手の害意の有無、要求の正当性を精査することなく、「いいよいいよ」と安請け合いしてしまい、あとからそれに気づき後悔する。

ところで、貞操観念の欠如について忌避あるいは侮蔑されがちな人間(特に女性)も、先天的・後天的の別を問わずこういう仕様になっている方が多いのではないかと思う。なので、その手の行動様式を見下し、貶め、攻撃する言論について見かけると、その標的がこちらに振り向けられるのではないか、心拍数が上がる。

お人好しの人間に「そんなの断りなよ」というのは乱暴な話なのである。コミュニケーションにおける反射神経のない者にとっては、「月面宙返りをしなよ」と言われているのと変わらない。運動神経の鈍いものがどんなに頑張っても、月面宙返りはなかなかできない。反射神経が鈍くなってしまった理由があり、解消できる場合もあるだろうし、器質的な場合もある。それらはともかくとして、お人好しの人間たちは今日もブラック会社に搾取され、借金の保証人にされ、浮気するヒモを養い、ママ友に手縫いの雑巾を差し出すのだ。

 

承)お人好しの処世術

ある種の人間はこのような「お人好し」に対する嗅覚が鋭く、隙あらば搾取しようとする。わたしは長期的な記憶力が良いので、そのような人間が害意を向けた(と、後に気づいた)できごとを決して忘れない。また、その鈍さと無知ゆえに不当な要求の不当さに考えが及ばない「善良な」人間もだ。

若いころは不当な要求に対し、なすすべなくこちらのリソースを無償で差し出していたが、今は多少の処世術を身につけた。彼らから再度の不当な要求があれば、それが営業上の先行投資となる場合を除き、金銭の介入をこちらから持ちかけるようにしている。ビジネスならば「お見積りいたします。」、プライベートならば「高いですよ?払えます?(笑)」である。こうすれば明確な害意を持つ人間は正式な交渉のテーブルに立たざるを得なくなり、自らの不当さに鈍感でありかつ自らの善良さを疑わない相手も、その要求は対価なしに得られるものでないことに気づいてくれる場合が多い。逆にそれによって「がめつい人間だ」と思われようが、そのような噂を立てられようが一向にかまわない。その場合はより権力をもたない者が淘汰されるだけだ。

実際、このやり方で会社を相手に労働条件についてのプロレスもしたし、30も年上の取引先の偉い人から持ちかけられた性交渉の誘いも退けてきた。それでも会社はこの面倒な社員を守ってくれているし、取引先は引き続きおいしい仕事をじゃんじゃんくれる。

 

転)施餓鬼としてのお人好し

 では、初回の搾取に関してはどう心の折り合いをつければよいか。これは害意の有無によって分けている。

「善良な愚か者」の場合は、今後も付き合っていく想定になるので、初回の不当な要求は「わたしの能力を開示する機会」というプロセスに置き換え、さらに、こちらからの要望を聞き入れてもらう障壁の緩和材料とすることができる。

「悪人」の場合は今後の付き合いについて考慮しない。最初のマイナス分は「施餓鬼」としてわたしの「徳ポイント稼ぎ」に役立っていただく。

いきなりで何のことかさっぱりわからない読者も多いと思うので施餓鬼について引用する。

餓鬼道で苦しむ衆生に食事を施して供養することで、またそのような法会を指す。特定の先祖への供養ではなく、広く一切の諸精霊に対して修される。

施餓鬼 - Wikipedia

いつも腹ペコで他人から搾取しないと生きていけない精神性を仏教用語で餓鬼道というらしいのだが、永久腹ペコ機関に施しを与えることで、現世の苦しみから脱出するためのポイントを稼ぐという寸法である。いま苦しいのを何とかしてほしいのに、「や、なんとかなるのは来世ね」とか、仏教は結構クソ仕様なのだが、ただ損した~と思うよりは「徳ポイント」に還元したほうがお得感あるので、そういう意味でも仏教は生活に役立つ情報満載である。ただ、このポイントは後付けできる仕様なのか、お坊さんに聞いたことがないのでそこは確認しとかないと、死んだ時に「や、それは無効だからきみは来世も人間だよ。しかも業の深めのやつ。遠足の当日に熱出したり、高速バスで下痢したりするけどガンバッテ!」みたいなことになるのではないか、甚だ不安である。

 

結)お人好しを嘆かない

結局、自分のお人好しさを嘆いても仕様がないし、お人好しにつけ込む餓鬼もこの世には一定数存在する。なんとか工学なんて、餓鬼の大量生産に加担している。もちろん、大抵の人の中に餓鬼はいる。困ったことに、彼らは心が弱った時ほど腹が減ったと喚き散らす。その声を外に漏らすか漏らさないかの違いなのだ。とにかく生きている以上、何ぴとたりとも腹ペコからは逃げられない。さらに困ったことに、お人好しは餓鬼が大好きな匂いをぷんぷん放っている。

それであれば、彼らから身を潜めたり、匂いをごまかしたり、食べきれないほどご飯を炊いたり、あげるご飯を減らしたり、逆にご飯を全く持ち歩かなかったり、しつこい餓鬼を殴り飛ばしたり、やりかたはなんだっていい、自分の顔をちぎって食べさせなくてもよいのだ。

損した~という気持ちはMPを大幅に削ってくる。お人好しの人たちは自分の騙されエピソードを自虐風に笑い話にするより、もっと得することを考えたほうがいい。その笑い話、聞いてる方はそんなに笑えない。むしろ「ひどい話だ」と怒りを覚える。理不尽は誰だって嫌いだ。

施餓鬼会は年に1回、お盆の時だけで十分なのだ。

 

断る力 (文春新書)

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