サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

赤子3ヶ月

赤子が他の追随を許さない可愛さですごい。

所謂愛情ホルモンがドバドバ出ていて、子育てはすこぶる順調だ。関われば関わるほどホルモンは分泌され、分泌されればされるほど構いたくなるのだ。子が起きてる時間のほとんどはソファで抱っこしたり、喃語トークを楽しんでいる。「クァー」とか「ヘゥー」とか「イァウゥ!」とかをそのままおうむ返ししたり、そうかそうかと相槌を打つと、目をキラキラさせて喜ぶ。人間には他者との共感を好むスイッチが備わっているものなのか、それともうちの息子がおしゃべり大好きっ子なのかはわからないが、母としてはワンオペ育児の孤独感が誤魔化されるので助かる。

2ヶ月と1週間経った。

今やりたいのは、2時間くらい集中して6品くらい手の込んだ料理を作ること。今は10分×4セットくらいで毎日3品簡単なものを作るのが限界。夕方は赤子ギャン泣きタイムなので、昼過ぎくらいまでの赤子スヤスヤタイムに洗濯×2と、台所掃除、買い物(ネットスーパー)、夕飯の段取りを終えなければその後の展開がストレスフルになってくる。何も毎日料理しなくてもいいじゃないかとも思うのだが、料理はわたしの生活に残された最後のクリエイティブな作業なので、出来る限りやりたいのだ。あんまりこだわってないとはいえ、バランスのよい食事が母乳の出に関わるという要素もあるしな。

授乳とかおしっこのオムツ替えは赤子の様子を観察するという名分もあるのだが、基本的にはルーチン作業で、1日6〜8回のミルトン消毒とか、1日1回のミルトン水換えとか、凄まじい苦手意識を持ちながらめちゃくちゃつまらなそうにやっている。うんこのオムツ替えとかの方がハプニングがあったりしてよい。授乳は単純に乳首がヒリヒリ痛くて嫌いだ。歯が生えてきたら早々に断乳してミルク一本にしたい。乳首のケアも搾乳も乳腺炎も一通り経験した上で思うのは、根性は有限だということだ。わたしは睡眠時間と乳首の皮膚を削って母乳を増やすことよりも毎日を機嫌よく過ごしながら赤子に接するところに根性を使う方針でやっている。まあ、赤子が乳を吸っている姿はハムスターみたいで面白かわいいので、痛くない時はなるべく吸わせているのだが。

 

1日の大半の時間はソファにいて赤子を抱っこしている。授乳時だいたい1時間と、夕方から夜にかけての不機嫌タイムはずっとなので、多分12時間は抱っこしているか体の上にのせている。ここまで濃密にかまっているにもかかわらず将来こいつが情緒不安定な人間に育ってしまうならもう、人間というシステム自体が欠陥品だ。人間には人間をうまく育てられない。諦めて、ロボットに子守をさせよう。今のところ、我が家は一人っ子でじゅうぶんかなと思っている。少なくともこのワンオペ環境下では。

 

とまあ、いろいろ大変な状況ではあるのだが、今後は改善していく希望があるので精神状態は安定している。そもそもわたしの情緒が不安定になる時というのは、出口の無さを感じる時である。ここ数年は、いつまでも結婚してくれない遠方のパートナーとの関係や、チームの戦力には不釣り合いな質と量の仕事、そこはかとない体調不良など、心をクサクサさせるに余りある環境であったのは間違いない。それが、今年は2月の妊娠発覚によるスピード結婚からの引越し及び同居、チームの増員やメンバーの成長など、あれよあれよという間に改善されてゆき、未来の見通しがやっと開けた一年であった。子供が出来たことで明確に閉ざされた道もあるが、それはすっぱり手放してすっきりした。ここから10年くらいは子供最優先で、仕事はまあボチボチ、むしろ子供と一緒に学びに力を入れられればいい。

 

赤子かわいや、かわいや赤子

息子は順調に成長しながら、無事1ヶ月検診を終えた。当初の出産予定日あたりを境に活性が増し、よく泣き、よく吸い、よく出している。目もだんだんとよく見えるようになり、お世話をしていると、じっとこちらに視線を合わせてくる。笑いかけたりしてくれるようになって一段と可愛くなるのは3ヶ月ごろだと聞いたが、これ以上可愛くなるなんて耐えられそうにない。時折見せる新生児微笑という生理現象の笑い顔でさえこちらの子煩悩を百八つどころではなく刺激してくるのに。

 

自分が担当している赤ちゃんの可愛さは異常だ。わたしはもともとそれほど子供が好きではなく、よだれとかうんちとかなんとなく汚く感じて、極力関わりを避けてきた。友達の子供にも必要最低限の接触しかもったことがなかったため、母親教室でお世話の練習をしても何となく「本当にわたしが面倒をみるのか。できるのか」という漠然とした疑念を拭えずにいた。

そんなわたしを見かねた仏様的なものが、「これだけ可愛いければお前でもちゃんと面倒を見られるだろう」と、特別に可愛い赤ちゃんをわたしに担当させてくれたのだろうか。と、勘違いするくらい可愛い。まあ、実際は自分の子供を特別可愛く感じる脳やホルモンのスイッチが入っているだけなんだろうけど。

寝ている間に発するキューキューいう謎の音や、呻き声を上げながら足で布団を蹴ってずり上がってゆく姿、目を白黒させながらオナラをするのも可愛い。枕草子の「うつくしきもの」の段をパロディ創作できそうなくらい、すごい。今日なんかは用事も無いのに泣いて呼んで、抱っこされたらご機嫌になり、ベッドに置いたらまた泣くというやりとりを5回くらいやった。これが仕事なら、ひどいどころではない無駄なやりとりだ。しかし、今はわたしが息子のお世話をする一秒一秒が彼の心の栄養になってゆけばいいと願いながら、謎の不毛なやりとりを楽しんでいる。わたしの人生の持ち時間のうち、彼に割ける時間は有限で、それはきっとすごく短い。そして彼は今、大人の何倍も何十倍も長い時の流れを生きている。ひどい世界に生まれて来てしまったとはなるべく思って欲しくないものだ。

なんやかんやで三週間

息子の顔が自分に似ている。

すごく顔立ちのかわいい赤ちゃんなのだが、如何せん、わたしに似ている。わたしの顔がかわいいかというとまた難しい問題なのだが、少なくとも、子供の時はなかなかの顔をしていたようだ。

問題は性格が似ていないかということなのだが、自分が言いそうな小理屈を自分そっくりの顔で言われたら、ものすごく腹がたつに違いない。顔が夫に似ていれば何でも許せるのだろうが。

ただ、わたしは女ということでなかなか生き辛さを感じることが多く、自分が男だったらというifについてよく考えるので、こいつがもしわたしのような性格だとしたら、そのifの答えの一つを見られるようで楽しみではある。ぜひ、のびのびとやりたいようにやっていってほしい。

まあ夫のように優しい性格なら、その方がいいのだけれど。

 

だんだんと赤みがとれ、北国のDNAを受け継いだ色白の肌になってゆく息子。

どんな人なのかはわからないが、色が白いのは七難隠すらしいので、なんというか、よかったね!

心の準備もないままに

うまれた。

20日も早く生まれたが、大きさにも問題なく、元気だ。

何やかんやで帝王切開が早まり、あれよあれよと言う間に取り出されることとなった息子。

うまれた瞬間から泣き叫び、母は「うわあ!四苦八苦の一個目いきなりきてる!すまんよすまんよ息子、あとは何とか娑婆で徳を積んでくれ!」と、罪悪感でいっぱいになった。が、姿形がわりと整って美しかったので、「あ、結構いきなり徳の高いタイプかもしれない。めっちゃ尊敬しながら大切に育てよう。」と、思い直した。それと、わたしは管に繋がれて全く身動きが取れなかったのを差し引いても直ぐには赤ちゃんきゃわわわとならなかったのに対し、夫がいきなり母性爆発のメロメロになってたので安心した。最悪何とかなるぞ、と。

 

いまのところ、事前情報よりは遥かに楽に過ごしている。未知の痛さはほとんど無かった。麻酔サマサマだ。20年前に腹を切った時は、術後の傷口の痛さが半端でなかった記憶があったのだが、背中に入った麻酔のチューブがそれをキャンセルしてくれている。

さて、わたしの症例はこの病院の中では落ち着いたものだったため、術中は研修医だか学生への格好の教材となり、それもすごく良かった。執刀医のレクチャーも面白く、わたしも一緒になってふむふむと聞いていた。若葉マーク医療のスタッフたちも、非常に雰囲気のよいチームで、わたしの反応に逐一寄り添ってくれた。仕事への前向きな熱意はよいものだ。

 

昨晩夢を見た。崖下へ作業着を投げ捨てる夢だ。何枚も、何枚も。

やがて全てを投げ捨てた後、崖下から一枚だけ袋詰めされた作業着が投げ上げられ、わたしの足元に落ちた。

息子を抱く手が片方だけ空いた頃、それを拾い上げられるとよいのだが。

ニホンブンカよコンニチハ

この一週間で、全然知らなかったことを2つ知った。

 

一つは水石。

水石 - Wikipedia

お茶やお花とともに伝来し後醍醐天皇が愛した由緒正しい趣味らしいが、もう何というか地味だ。川で採取した石を自然の風景に模してディスプレイしたものなのだが、プチ枯山水という趣きだ。一つの石から大宇宙を感じるのが醍醐味だそうだが、お茶やお花のように広く一般に流行らなかったのも頷ける。高校に水石部が無いのも。

いや、お前がものを知らないだけで水石とか常識だろ、という意見もあるかもしれないが、少なくともわたしも、それより30年近く長く生きている同行者も今まで全く遭遇せずに生きてきたという。

しかし、実際、まとまった規模で良い作品を見ると、魅力を感じて嵌まり込む人がいるのも頷けるなとは思った。わたし個人としては、鑑賞するならもっと動くもの(アクアリウムとか)の方が好きだけれど。あと、どちらかというと、川に石を拾いに行くフェーズの方が面白そうだ。豊かな自然の中で、心にグッとくる石に出会う偶然に心をときめかせるなんて、冒険ロマンとしか言いようがないではないか。

 

もう一つの出会いは萩の花だ。萩とか月とかに所縁のある地へ越してきたので、萩まつりとやらに足を運んだ。おはぎとぼたもちが同じものなので、萩も牡丹のようなノリの大輪系だと漠然と勘違いしていたのだが、マジで全然違った。こればっかりは常識の範囲の知識が欠如していたとしか言いようがないのだが、そういえばなんかテレビで萩の花のつぶが小豆っぽいからおはぎと言うみたいな話を夕方の情報番組で見たようなことを漠然と思い出した。こじつけにもほどがある。

で、萩の花はどうだったかというと何だか地味で、わたしは秋生まれなのだが、若干がっかりした。彼岸花は名前も曼珠沙華とか派手でいい感じだけど。とにかくわたしは派手なものが好きなのだよ。

ただ、萩の花はまとめて植えてあると野趣にあふれ、魅力はわかった。ススキと並べて茶室の外に植えたい。茶室もってないけど。夕暮れ時、東に十三夜の月、虫の声などがドッキングすると、あまりにベタすぎるが、まさに言うこと無しだ。

 

やはりかの北の大地より、圧倒的に文化レベルが和風に洗練されている。流石は由緒ある大大名の城下町である。わたしは日本人というアイデンティティが薄く、どちらかというと道産子という立場にそれを仮託していて、ゆえに倭人の文化はまるきり異文化なのだ。

風土は亜寒帯。ケプロン・クラーク・エドウィンダン・ホィーラーたちアメリカ人教師、新戸部稲造、内村鑑三三岸好太郎安田侃砂澤ビッキ。レンガと軟石と下見板にトタンの屋根、原色のペンキ塗装。広大な田畑にコンバイン、干し草ロールとサイロ。小豆にはバターと白砂糖、芋はジャガイモ、肉は豚。アカシア、ポプラ、ダケカンバ。お隣さんはユジノサハリンスク

 

同じ政令指定都市とはいえ、都市の成り立ちが違えば、根底にある文化は大きく変わる。住む人も然りだ。

開拓者の街から、大大名の街へ。生まれる子にとっては、ここが故郷だ。子供と一緒のレベルで知らないことを沢山知り、街を構成する新しい要素として一体と馴染んでいけたら、それは全く面白い。

産休クライシス

産休3日目。

この生活はすごく心の健康に良くない。警報信号がビービー鳴り響く。

 

家の中にはやらねばならないタスクがそこかしこに転がっていて、それを無視して出かける胆力も体力もない。

しぶしぶ取り掛かるも、整理整頓の能力が壊滅的なので、30分もやれば1時間はぐったりしてしまう。そして買い物した備品が毎日届く届く。もう少し広い家にすればよかったか、いや、夫の宝物(ガラクタ)をリストラしてもらうのが先決だ。物が多いのは疲れる。

比較的好きな家事である料理に逃げるも、お腹がつかえて流しに立つのも一苦労だ。しかも立っているうちに太ももが痺れてくる。はやく食洗機が来るといいのだが。

 

マタニティライフは素敵じゃない。不定愁訴が付きまとい、日をおうごとに出来ないことが一つ一つ増えていく。やりたいことが思い浮かんでも、次の瞬間に「あ、それはもう2年くらい出来ないんだった」と、思い直す。毎日、何度もだ。それでも今は女性ホルモンの影響で頭がすごく鈍くなっているので「まあしょうがないか」と思えるのだが、産後に元の性格に戻った時、果たして耐えられるのだろうか。鬱がひどい時、「あれもこれも出来なくなってしまった」という考えが次々に浮かんできて、それが一番辛かった。色んなことが出来る自分が好きだったのに、身ぐるみ剥がされてゆく心許なさだ。

今は、仕事人間の鎧がすっかり剥がされてしまい、まだ見慣れない名前や住所を病院や各種手続きの膨大な書類に書き込むたびに足元がグラグラする。わたしがわたしだった道のりのマイルストーンを見失いそうになる。

 

その里程標とはいったい何なのか。わたしは本当は知っているのだ。

時間を忘れて耽った漫画やゲーム、貧乏時代によく作った料理の味、何度も何度も読み返した友達からの手紙、コツコツ買い溜めた名画のポストカード、ふにゃふにゃになった旅先のパンフレット、そういったガラクタがきっと今の自分に必要なマイルストーンなんだ。

 

夫の宝物がわたしにはガラクタに見えるのは当然で、わたしの宝物だってガラクタだ。でも、ガラクタを集めながら生きていれば、いつでもわたしの連続性を見つけられる。「無駄なものに囲まれて暮らすのも幸せ」という槇原のフレーズがわたしは好きだ。

 

つまり、家は広いに限ると、そういうことである。