サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

このトングいいねと君が言ったとか言ってないとか

サラダを取り分ける話が局地的に盛り上がっているので、サラダ話をひとつ。

 

わたしは底辺の男社会を愛嬌でサバイブしてきたおばさんなんですが、若い頃の自分に言いたいのは、そんなに頑張らなくても君は優秀なので、仕事で普通に十分評価されてた筈だよってことです。

 

ともあれ、手っ取り早く自分がどういう人間なのかわかってもらうために、現在では客との食事ではサラダを取り分けつつ「サラダ取り分けたから、わたしのことを気がきく人間だと思って下さい」とお願いするようにしています。普段の言動が既にそういう一見厚かましい感じなので、うぜーというツッコミとともにわりとウケます。年長者にもウケます。そこでさらに先輩が「あ、わたしは取り分けない主義ですので」をかぶせてくるので、セットでウケます。女がウケる必要ないという文化もありますが、おばさんはおもろい方がみんな幸せなのでビジネス的にはそういう感じでやってます。先輩とセットで「女だてらに」と形容される職なので、そういう、ちょっと一筋縄ではいかないぞ感が喜ばれることが多いのもあります。

結局、取り分けるも取り分けないも、ウィットなんですよね。その場に気がきくアピールしたい人が他にいれば黙って譲るし、そも社内で一番のサラダ奉行は社長なので、ありがたく取り分けてもらいつつ盛り付けを褒めるとか。ホスピタリティってそういうことだと思うのですよ。取り分けるにしても社内で軽く扱われがちなおっさんの食物アレルギーを把握してるかどうか、そういうとこですよ。

で、実はこれはある意味武器を使っていることになるんだけれど、女の武器というよりも男女関係なく弱者のゲリラ戦なんですよ。

ゲリラ戦なので、仮にサラダ取り分けという武器を奪われても、死なないために他の武器を使うよねという話で。求められればカラオケも歌います。人前で歌うの好きなので。弱者だから武器いっぱい用意してます。もし若い女性の中に表面的な気遣いや見目の良さだけを武器と考えている子がいるならば、それは自分の力を卑下しすぎだし、それこそエンパワメントが必要だと思います。

奴隷階級から自由になるためにどう振る舞うか、サラダどころの話じゃないんですよ。名誉男性やったところで、サラリー上がっても自由はない。サラリーはあくまで労働者階級がすこしでも自由でいるための手段なので。

逆説的だけど、自由になるためには自由に振る舞うしかなくて、それは身勝手に振る舞うわけではなく、自由な意思で自ら楽しみながら他人の窮屈さをほぐしてあげることなんですよ。色仕掛けという女の武器使う前に、「目の前の人はゲイを隠しているかもしれない」って想像できるかどうか。女性のことを値踏みする男性には、その人のお母さんや身近な女性のことについて語らせて褒めてあげるとか、誰も傷つけずにできることは色々あります。

弱者といえど武器を使うならば、それで傷つけてしまう何かへの想像力を持った方が多分もっと本質的に自由に生きられると思います。そもそも、あなたが媚を売ってる相手、思ったより強くないです。

 

まあ、自由は疲れるのでわりとみんな奴隷状態が好きだわよね。奴隷の鎖で殴り合う弱者ばかりの環境は疲弊するので、わたしは安全なところからやいのやいの言うだけでいいです。多分、誰がなんと言おうと世の中は女性の取り分け禁止的な方向性を経て、好きにやれになってくと思うので、弱者は武器をアップデートするのみであるのです。