サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

無害な女を装えど

何を着てどう生きるかは本質的に自由であるべきなんだけど、着ることは見られることなので否応なくフィードバックを受けることとなる。これは何を食べるかとか、どう住まうかとかとは大きく違う。

とりわけ女性はその傾向が強いため、不用意な罵倒や揶揄を避けるための防衛策として母親は娘にコンサバな服装を勧めることが多いように思う。わたしの娘は家父長制に従順で貞淑な、堅気の嫁に相応しい人物ですよ、あなたを脅かすようなことはしない安全な奴隷ですよ、とばかりに。

我が家はまさにその通りで、シャツのボタンを胸元まであけたり、シャツの裾をボトムから出したり、靴のかかとを踏んで履くことや、長い髪の毛を結ばずおろすことは禁止されていた。中学生の服装検査で指摘されるような着こなしは家庭でも許されなかった。そのような環境で育ったため、高校に入り、自営業の家庭の令嬢たちが化粧をし、キャミソールを着て、ヒールの高いサンダルで通学するのを、気後れとともに少しの軽蔑と羨望を込めて見ていた。わたしといえば努めて少女性を強調した服装に傾倒していたように思う。なにせ、洋服を買うのはいつも母親同伴だったのだから。パトロンである彼女が納得する服しか選べないのだ。チノパン、ポロシャツ、プリーツスカート、ケーブル編みのセーター、スニーカーにトートバッグ、ダッフルコート。人畜無害のグッドガールだ。

時折、少ない小遣いをはたいて自分の趣味で買ったキッチュなアイテムは、悉く非難された。色が変、品がない、安っぽい。

いよいよわたしは自分の女性性の成長へ手触りを感じ損ね、逆にそれを補償するように沼のごとく恋愛をした。恋愛の名を借りた不純な異性との交遊だ。10代後半、健全な女子ならば自分の外見や内面を磨きながら女性性を慈しみつつ大切に育てていく時期に、わたしはセックスばかりして女性性に鞭打っていた。タータンチェックの巻きスカートをたくし上げて、イイことをしていたのだ。かくして母親の保守的な教育は大失敗に終わった。ざまあみやがれ。

そんなことを知ってか知らずか、大学へ進学する時、母親はわたしに化粧を一式買い与えた。そして少しお姉さんらしいブラウスとフレアスカートを選ぶよう促された。パーマをかけたロングヘアをおろし、フルメイクで学校へ通った。母が想定していた筋書きでは、わたしが少女から女性へ変化する時期はきっかり18歳だったようだ。残念ながらわたしにとってそれは3年くらい遅かった。わたしが性衝動に溺れていた原因が女性性の抑圧への反動ばかりとは思えないが、仮に、内面の羽化に見合った服装をしていたら何かもっと違った青春時代があったかもしれないとは思う。服装とは裏腹に、性格も行動も高校生のわたしは何一つグッドガールではなかったはずだ。真っ赤なミニスカートや、胸元のあいたVネックのニットが着てみたかった。

母親が娘を保守的な価値観で育てる原因は様々あると思うが、もういい加減女性の服装についてあれこれ批評するのが無粋で、リスペクトに欠く行為であるという認識が男性も含む世の中全体に広がればいいと思う。抑圧された娘が性嫌悪に陥り、彩り溢れるはずの青春時代を楽しめないのは不幸なことだ。世界には素敵なお洋服がたくさんあるのに。

そう、流行りのお洋服を自分らしく素敵に着ましょうよ。

テレビのアイドルも、アニメのヒロインも、そして、YouTubeのアイドルも。

 

残念ながらわたしは娘の母にはなれなかったが、小さなことでも、もっと女の子が自由な世になるように何かがしたい。残念ながらまだそういう世の中ではないので、せめて小さな勇気を持って「わたしはわたし。だから何?」という姿勢を見せていければいいわよね。