サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

赤子かわいや、かわいや赤子

息子は順調に成長しながら、無事1ヶ月検診を終えた。当初の出産予定日あたりを境に活性が増し、よく泣き、よく吸い、よく出している。目もだんだんとよく見えるようになり、お世話をしていると、じっとこちらに視線を合わせてくる。笑いかけたりしてくれるようになって一段と可愛くなるのは3ヶ月ごろだと聞いたが、これ以上可愛くなるなんて耐えられそうにない。時折見せる新生児微笑という生理現象の笑い顔でさえこちらの子煩悩を百八つどころではなく刺激してくるのに。

 

自分が担当している赤ちゃんの可愛さは異常だ。わたしはもともとそれほど子供が好きではなく、よだれとかうんちとかなんとなく汚く感じて、極力関わりを避けてきた。友達の子供にも必要最低限の接触しかもったことがなかったため、母親教室でお世話の練習をしても何となく「本当にわたしが面倒をみるのか。できるのか」という漠然とした疑念を拭えずにいた。

そんなわたしを見かねた仏様的なものが、「これだけ可愛いければお前でもちゃんと面倒を見られるだろう」と、特別に可愛い赤ちゃんをわたしに担当させてくれたのだろうか。と、勘違いするくらい可愛い。まあ、実際は自分の子供を特別可愛く感じる脳やホルモンのスイッチが入っているだけなんだろうけど。

寝ている間に発するキューキューいう謎の音や、呻き声を上げながら足で布団を蹴ってずり上がってゆく姿、目を白黒させながらオナラをするのも可愛い。枕草子の「うつくしきもの」の段をパロディ創作できそうなくらい、すごい。今日なんかは用事も無いのに泣いて呼んで、抱っこされたらご機嫌になり、ベッドに置いたらまた泣くというやりとりを5回くらいやった。これが仕事なら、ひどいどころではない無駄なやりとりだ。しかし、今はわたしが息子のお世話をする一秒一秒が彼の心の栄養になってゆけばいいと願いながら、謎の不毛なやりとりを楽しんでいる。わたしの人生の持ち時間のうち、彼に割ける時間は有限で、それはきっとすごく短い。そして彼は今、大人の何倍も何十倍も長い時の流れを生きている。ひどい世界に生まれて来てしまったとはなるべく思って欲しくないものだ。