サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

あんなところに入れちゃうの

鼻に入れます内視鏡

なんだかずっとみぞおちが痛いような気のせいのようなで放置すること4ヶ月。や、脳がおかしいからそのせいで痛いように錯覚してるのかなとか思うわけですよ。仮に、病院に行ったとします。色々検査するも所見が出ず、誰も疑ってないのになぜか仮病じゃないことを唾飛ばしながら力説して途方に暮れるシーンまで一通り想像しちゃうよね。筋金入りのネガティヴシンキングとしては。また、我慢しようと思えば我慢できる程度の痛みなのさね。そんなこんなでまあ、するよね、放置。

ブラックコーヒー、ガブガブ飲んでた。ビール、ゴクゴク。激辛スープカレーにこってり背脂ラーメン。夜中にポップコーンポリポリ、コーラシュワシュワ。聞こえてくるのは胃腸の悲鳴。

脳の異常が比較的回復し、段々と元の不摂生スタイルになってきた矢先。平日にビールを2杯だけ飲んだ次の日、お腹が痛くて、わたしは会社を休みました。
頭が治ってきた割にはやっぱり痛い!気のせいじゃなかった!痛いと思い始めたらなお痛い!

ついに観念して心療内科の先生に相談したところ、消化器科へ行ってみよと。そりゃそうだ。もちろん、症状の説明に加え、4ヶ月間も放置した言い訳を一から十まで唾飛ばして力説しました。聞かれてないのに。

まあ、いろいろ調べるわけですインターネットで。そしたらもう縮み上がるような病名が出て来るわ来るわ。怖い!
何が怖いって、入院、手術とかになったらみんなお見舞いとかに来るじゃないですかあ。そしたら、病人みたいに扱われて、わたしはサービス精神の塊みたいな女なので健気な病人を演じるわけじゃないですか。そして、見舞いの人間が帰った後の夜中、病室で隣のおばあさんのいびきの音に目を覚ましたわたしは考え込むんですよ。わたしに張り付いた病人のラベルを今すぐ剥がして自由になりたいけど、それは誰にもできない。ああなんて不自由なんだろう。なんて不幸なんだろう。到底受け入れることなんて、できっこない。

ほら、うんざりするでしょう。だから剥がれない目立つラベルが増えるのはとっても嫌。かわいそうって思われるのは傷つく。

ところで、うつ病は周りからは仮病だろうくらいに思われていた方が塩梅がいい。わたしの場合は、という注釈入りだが、その方が元気が出るのだ。
頭が潰れるような、思考回路を侵す重苦しい呪いについて、知っている人はそんなに多くないのだ。多くの日本人が野生のキツネザルを見たことがないのと同じように、わたしがコンプトン効果について全くわからないまま高校を卒業してしまったように、想像できないものは共感できないし、共感を求めることはやめて久しい。
それに引き替え、内臓が痛い病気に世間は甘い。体の痛さは誰もが知っているから、共感できる。ただそれだけのことなのに。
痛さという概念を知らない人だけがお見舞いに来て、毒々しいほど陽気な曲芸なんかを見せてくれればわたしは満足だよ。

で、痛がりのわたしはもちろん経鼻内視鏡の設備のある病院を探しましたよね。
そして症状の説明と放置した釈明のあと少し触診してもらったら、やっぱり出た!内視鏡検査!その日は予約だけしてきました。
検査してナンボの商売だもの、おたくさんの自慢の設備と腕前、期待してるよ。来週、検査してもらうことになりました。
残念ながらそこまで悪いものは見つからないだろうけど期待半分、不安半分です。

内視鏡で何が見つかるか自体は少し楽しみ。わたしという単純な筒の、近くて遠い内側。建物でいうと衛生設備配管かな。どこかで破損している。
こわれたものを探すのはどきどきする。治すのはもっと面白い。