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サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

リラの香りに誘われて

ライラックまつりが開催中である。

大通公園ライラックの甘い香りに包まれるころ、北国の住人たちは年の半ばを数える冬にたんまりこさえたなもみを剥ぎ、お天道様の下へ一斉に這い出す。
今年は桜の開花が早く、連休ごろに花見を済ませてしまったのだが、いずれにせよ桜の季節はうすら寒い。このライラックの季節こそがこの世の春、札幌では最高に過ごしやすいのだ。「一年じゅうこの季節ならどんなに良いか!」というせりふは毎年恒例の耳タコで口もまた酸っぱい。

さて、冬眠から覚めたクマたちには当然花より団子。雪まつりが終わって以来グルメイベントの開催されていない大通公園周辺にあって既に腹と背がくっつきつつある我々にとっては、どんなにたわわに花をつけた見事なライラックも道産ワインと道産食材のマリアージュを香りと彩で引き立てるゲストに過ぎない。ちなみに「マリアージュ」と言ったのはイベント主催者で、わたしの辞書には見当たらない単語でごわす。

ワインガーデン2016リラ・マリアージュ
年々盛り上がりを増すこのイベント、出店するワイナリーも増えてゆき、すっかり札幌飲兵衛たちのお馴染みとなっている。一杯500円か800円のワインをチケットで購入し、デポジット式の貸しグラスに注いでもらい、出来たてのおつまみと一緒にお外でいただく。夕方の気温は18度前後、ワインで少し火照る体にちょうど良い爽やかな風がライラックの香りを一口ずつ運んで来る。こんな贅沢があろうか。

18歳の頃、この街には歴史もない、最先端の施設もない、何もないと悪態をつき、わたしは内地へ進学した。
ろくな仕事だってありゃしないと、卒業後は東京で働きはじめた。
それが、不本意ながらも26歳で泣きながら地元に逃げ帰り、すぐまた東京へ戻るつもりが今ではすっかり根を下ろしてしまった。
自分が今「ろくな仕事」をしているかどうかの判断は保留としたいが、ずっと地元で良い仕事をしてきた自治体、イベント会社、農家、醸造所、レストラン、広告会社、ホテル、旅行代理店のおかげで北海道は今や世界中から観光客が年中訪れる土地となっている。
きっと、昔から素敵なものはあったのに、わたしはそれを見つけられず、口元まで飯が運ばれるのを待っているだけの餓鬼だったのだ。
確かに冬は何もかもが白く覆われてしまうこの街だが、こうして季節の移ろいを五感で楽しみながら旬の美味しい物を安くお腹いっぱい食べ、親しい人との時間を過ごせることはわたしにとってはこの上なく幸せだ。
ここ10年で、東京やヨーロッパで修行したシェフやパティシエがわざわざ移住してきて営むお店がうんと増えた。そこに食材を提供する農家や漁港。そしてそれを紹介する雑誌や広告、ウェブサイト。それらの職場と求職者をつなぐ人材サービス会社。ろくな仕事は溢れている。
いっぱい働いてお金を稼ぎ、いっぱい美味しいものを食べる。出来れば、大好きな人と一緒に。
わたしの願いはなんと単純なことか。