サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

そんなこんなで診断書

診断書がでた。
一か月は半日勤務とのこと。休みたいですか?という趣旨のことを聞かれたから、体は今すぐ休みたいけど長い目で見ると今はどうしても休めない事情を話し、でも朝はどうしてもつらいというふうに訴えたところ、こういう措置になった。希死念慮もいまのところないし、うつ病の診断とまではいかないだろうから、妥当なところだろう。
前回の通院歴が、断薬でないかどうか念を押された。ほんとに寛解したんですわたしは真面目な患者なんですよ安心して診てね。それだけ断薬する患者が多いということなのか。少なくとも素人の自分の判断よりもプロである医者の言うことの方が信ぴょう性あるだろうというのは、わたしも技術職で素人相手にいつも頭の痛い説得をしている経験が言わせるのか何なのか。プロを素直に信じるのはだいじなことだ。少なくとも、6年間ずっと一つの学問をやり通して試験に合格した人なんだからさ。

半日勤務……するかと言われればまあ、そんな余裕もないから何だかんだと8時間くらいはきっと働くと思うのだが、朝の遅刻の大義名分ができたのは安心感が大きい。また、みんな意外と心配して色々代わりにやってくれてるので助かる。
診断書があればまわりのみんなも納得してくれる、というか、せざるを得ないだろう。ただの怠けじゃないというお墨付きは大変ありがたい。世の中、理解のある立派な人だけじゃないから。それに、わたしは立派じゃない人とも付き合っていける人でありたい。とにかく「なんかわからんけど怠けてる人」と「持病を抱えながら働いてる人」じゃあ雲泥の差だ。
技術が発達して頭の中の鉛の重さが可視化されれば精神障害にたいする理解もすこし深まるのになあ。

前の時は即休業を言い渡されたが、今回は働きながら治すのがどうやら可能そうだ。よかったよかった。働きながらでも付き合える病気だということがわかれば、今後の再発に必要以上に怯えることもなく、わたしの将来はもっと明るいものになる。早期受診に関してはお医者さんも大きく頷いてくれた。
責任感が強いのは困ることもあるが、自分の美点であるとはっきりいえる。うまれてきた以上、何かよいことをして生きたい。よいこととは何かをもっと考えて議論して、伝えていきたい。そう望んでいる。
体を壊してまでする必要のある仕事なんてないという考えも聞くが、それは大事な人を救うための言葉であり、真実ではない。
壊れない体なんてないのだ。毎日、死に向かって着実に壊れていく体をなんとかなだめて治して不器用に使って、ここで何を為すのか。会社のためだけじゃなく、社会のため、世界のために必要なこと、誰かがやらなければならないことをやる人生が性に合っている。損してばかりだけど気分がいい。
若い頃の闇雲な責任感ではなく、視野の広い責任感でわたしはまず目の前の不安をなくすための前向きな取り組みをはじめた。
体も頭もいつか壊れる。でも、それらを使って命を燃やしていけばもっと奥底にあるわたし自身のかたまりはどんどん大きく賢く頑丈になってゆく。幸い、「納得」「合理的」「みんなで得する」のが原動力の使い勝手の良いエンジンを搭載している。おかげですぐに使える信頼貯金もたんまりある。ので、既にいろいろ介護してもらっている。まことにラッキーである。ありがとうありがとう!!

つまり、まわりの人たちは心配するだろうけど、わたしには使命があってそれをやらなければ死んでいるのと同じなのさ、ってことなのさ。なんのために生まれて、何をして喜ぶのか、分からないまま終わる、そんなのは嫌なのさ。

口に出しては言わないけどね。