サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

省エネタイプのあるきかた

今週のお題「今の仕事を選んだ理由」

 

ホッテントリでちょっと話題になっている「美大進学」について少し触れます。

わたしは、「そこそこ絵のうまい子供」でした。父親が趣味で油絵を描いていたので、スケッチについていったり美術館に連れて行ってもらったり、地方都市にいながらも、わりと美術に触れることが多い子供時代だったと思います。

けれど、父親に絵を褒められたことは一度もありませんでした。父は、そこそこ上手い人にありがちな「俺が認めるかどうかが全て」の人であり「正直が美徳」の人だったので、子供の拙い絵は拙い絵以上の何者でもなく、自分の審美眼に嘘をついてまで褒めるに値するものではなかったのだと思います。

母親は手芸が得意で、わたしは裁縫や工作など、ものづくりの段取りを叩きこまれました。こちらは半ば義務感でやっていたので「当然これくらい出来ねばならない」という感じで、「趣味」というより「技能」として身につきました。

兄も絵がうまく、よくイラストを描いて遊んでくれました。

とうぜんわたしは図工が得意になり、工作はいつもクラスメートを驚かせ、絵は廊下に貼り出されました。ただ、わたしは比較的何でもそつなくこなす小学生で、図工だけが飛び抜けて得意だったわけではなく、4教科もよくでき、歌も得意だったし、体育も陸上競技以外はわりとできたほうです。生活態度はとにかくだらしがなく、不注意ばかりでやばかったですけどね。

 

中学になると先生がちゃんと絵の描き方を教えてくれたので、デッサンがすごく上達しました。何となく感覚で描けていた友達をぐんぐん追い抜かし、成績は常に5でした。中学での「内申点取りゲーム」ではぜったい5をとれる安牌として美術は技術家庭科と並び、俺の中での絶対エースとして鎮座することとなりました。

また、「イケてる女子」を目指すあまり運動部を選んだので、美術部には入らず、趣味でオタク活動をしていました。しかしどんなにキャラ絵を描いてもあまり上達せず、友達の上手なイラストやエモーショナルな感性と比べては、自分の適性が創造的な方向性でないことを自覚しました。同人便箋のレイアウトなんかは結構得意でしたけど。

一方、木工の授業で勉強した三面図やパースなどは、やり方を覚えたら即できるようになり、数学の幾何学分野についてもスイスイ解けたので、だんだんとわたしはクリエイティブじゃない感じのものづくりが向いているのかなと思うようになりました。

わりと何でもそつなくこなすタイプの人はこうやって「省エネ」に向かってゆくのだと思います。

 

地元の超進学校に進み、美術と社会科以外の成績が地に落ちたわたしが進路について考えた時、あまり考えなくともすぐに以下の選択肢があがりました。

① 医療系専門職に進んで、仕事はそこそこで趣味に生きる

② 受かりそうな国立の工学部に進み、デザインっぽいことをやる

③ 物理ができないから文系に進んで、文学部で学芸員を目指す

美大でデザインやるという手もあったとは思いますが、とにかく「実技試験」のための準備がハードルです。親を説得しようとしても、父親はわたしに絵の才能がないことを知っているし、母親は無難で安定性のある職業以外はぜったいに認めてくれません。「美大なんか行ってどうするの?」と言われるのが関の山です。工学部ですら「女の子が工学部なんて」と反対されましたから。かといって根性のない自分に、苦学生はぜったい無理です。

ならば、やればそこそこできることが実証されている「お勉強」でそっちのレールを目指すほうがきっと楽ちんに違いないと、なかなか人生嘗めた考えで結局②を選び、やっと受験勉強をする気が起きました。今から考えれば①を目指したほうが波乱もなく楽な人生だったと思います。狭き門と言われる③ですが、数年前、友達が学芸員になったのを聞いてすこしタラレバ思考に陥りかけました。

また、この頃はコンピュータによるドローイングが普及し始め、ホームページに同人イラストを発表する人も増えてきていたので、イラストは趣味で気軽に続けようと割り切ることが出来たことも付け加えておきましょう。

実際、親が美大に行くことをポジティブに考えるような環境であれば、きっと美大のデザイン系の学科を目指していたと思いますが、それも所詮タラレバ。わたしはじゅうぶん他のいろんなことに恵まれていたと思うので、その時できる最良の選択をしたと今は思っています。わたしには表現したい自己なんてなかったし、世の役に立って日銭を稼ぐならば、すこしでも皆がやりたがらないことの中から自分にぴったりの獣道を探したほうがいいのです。

 

まあ、なんだかんだと②に進み、思ったより同級生の絵がうまくなかったことに多少安堵と落胆を覚えました。デザインの授業だけは優等生、設計プレゼン用のパース絵はいつも講師から褒められ、「それで食っていける」というありがたいお言葉もいただきましたが、その仕事があんまり稼げない商売であることも薄々わかってきました。大学生時代、人力での小屋作りなどの活動を通じて、現場で職人さんと一緒に仕事したいという希望が出てきたため、就職はふつうに(女子としては普通ではないですが)施工管理を選びました。母親の「段取り力」の呪いが効いています。

 

それからまた色々波乱があるのですが、芸は身を助く。絵がうまいのは施工管理の現場でもかなり重宝される能力で、仕上がりのイメージ図などよく「上手ですね~」と感心されます。また、大学の勉強なんて仕事に役立たないという世界もありますが、工学系なのでおかげさまでしっかりと役に立っています。あれだけ嫌いだった力学の知識に食わせてもらっているのです。

こうして、その時々で希望をもって一生懸命磨いてきた技能に何度もピンチを救ってもらってなんとか首の皮一枚でつながっている現状です。

 

仕事選びに関してはこちらの記事にも詳しく書いてます。

guinshaly.hatenablog.com