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サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

小鳥を拾ったときのこと

思い出

スズメでもカラスでもない鳥について生活圏で意識したのは初めてだった。見たことのない小鳥が落ちていたのだ。

 

給食を食べ終えたあと、掃除が終われば昼休みだ。「休み時間」なのにのんびり休憩できず、外で運動させられるシステムについて抱く感情の名前が「理不尽」であることを4年生のわたしはもう知っていた。ドッジボールをやろうと言い出す運動神経のよい級友なんか心のなかではにっくき敵だ。わたしは砂場を掘ったり、温室のヘチマの数を数えたりして時間を潰したいのだ。体など動かして心拍数を上げたりしたくはない。要するに、究極には教室でイラストを描いたり折り紙を折ったりしていたかった。

小学校には理科のカリキュラムで栽培している植物の花壇がある。アサガオ、ヒマワリ、ホウセンカアブラナ、インゲンなど、教科書の口絵に載る植物が生徒の数だけ植えられている。花壇は校舎の裏手にあったため、昇降口から外に出て校舎をぐるっと周りこまなければならず、極力体を動かしたくないわたしはそれらの水やり当番を煩わしいものとして後ろ向きに捉えていた。自分には 農業は向いていないと思う一因にこのネガティブな記憶があることは間違いない。ちなみに鶏が怖くて飼育委員も出来ないなと思っていた。小学生の自意識だって色いろあるのだ。

ともかく、植物の世話当番とドッジボールからの逃走のため、班の女子とおとなしい男子と数人で休み時間に花壇に行ったのだ。そして、そこに落ちていたのが冒頭の小鳥だ。

 

小鳥は地面にうずくまり、目は開いていたが羽ばたいて逃げる素振りは見せなかった。スズメよりもまだ小さく、グレーを基調とした体色に白黒の模様があり、何といっても、頭頂部の真っ黄色のアクセントが特徴的だった。今でこそ近郊の野鳥に関してはあれかなこれかなと思い当たるものも何種類かあろうが、当時は野鳥なんてキツツキくらいしか知らなかったし興味もなかったため、わたしはうずくまる小鳥をただ、まじまじと目を丸くして観察した。最高のおもちゃと非日常をいっぺんに手にしたのだ。

「先生に言いに行こう」誰かが言った。わたしも首肯し「野良猫に見つかっては大変だよね」と言った。これから小鳥をお医者さんに見てもらい、かいがいしく世話をするのだ。どこかで観た物語の主人公がそうしたように。

 

担任に報告すると、用務員さんから水槽を借りてきてくれた。小鳥をそこに収め、教室へ連れて行った。小鳥は動かず、ただ小さな胸を上下させていた。

本来はここで、「野鳥」というものに対して大人が然るべき対応をとらなければならないところなのだが、当時の担任は体罰や教室内での喫煙などの問題が多く お世辞にも成熟した大人とは言えなかったため「自主性に任せる」という便利な名目で、生徒に適切な指導を行わなかった。今から思えば、の話だが。

 

次にすることはもちろん、図書室でこの鳥の種類を調べる作業だ。

「北海道の野鳥」図鑑には大小さまざまの鳥が何百と掲載されていた。この中からかの迷い鳥を探さなくてはならないとは、軽いめまいを覚えたが、ともかく1ページ目から写真とにらめっこをした。目印はあの黄色い冠羽だ。と、ミヤマホオジロのページで手が止まった。確かに頭に黄色い羽毛が生えているが、なにか違う。あの冠はもっと鮮烈に頭の中心を飾り付けていたはずだ。黄色、黄色、とつぶやきながらさらにページをめくると「キクイタダキ」というページにその王冠を見つけた。キクイ・タダキ?変な名前だなと思いながら、念のため、また1ページ目から図鑑を見なおした。確かに、あの模様をもった鳥は1種類だけであり、記載されている大きさも一致した。

 

教室へ戻ると、小鳥を入れた水槽はもうクラスの女子が取り囲んでいた。

キクイタダキ」という種類を告げると、皆その聞き慣れない響きに怪訝な顔をしたが、やはり安直にも「キイちゃん」という呼び名がつけられ、名付けをもって小鳥は4年1組のメンバーとなった。かのように思われた。

 

その日の帰りの会でのことである。「小鳥をクラスで飼育するのかとうか問題」が議題に上ったのだ。びっくりである。わたしは既にこの非日常に酔いしれていたため、飼わないという選択肢などありえなかったのだ。

そしてその日の日直の生徒は日本の小学校に巣くう似非民主主義に則り、万能の決議手段である「多数決」をいきなり行った。

当然、「飼う」派が圧倒的多数であり、数名の少し分別のある生徒のみが「飼わない」派として控えめに手をあげた。わたしには全くもって理解できなかった。なぜこんな素敵な出来事をみすみすドブに捨ててしまうのか、である。

困ったのは「放任主義」の学級担任である。何としてでも面倒事は避けたい。珍しく彼は学級会に介入し、反対派の意見を聞いた。反対派にAちゃんがいた。Aちゃんはご家庭の教育方針によりテレビを自由に見せてもらえなかったり、ラジオ体操に通っていなかったり、何かと大衆とは一線を画していたため、女子の間では多少疎まれがちな存在だ。わたしは子供っぽく鈍い性格ゆえか、当時は全然疎ましさを感じていなかった。純粋に、お金持ちで可愛くて羨ましいと思う気持ちだけだった。彼女とはその後、中学3年の時に完膚なきまでの決裂をやらかしてしまうのだが、それはまた別のお話。

ともかくAちゃんの言い分は至極まっとうなものだった。「弱っている小鳥を私達が面倒を見るなんて無理だと思う。生き物を飼うのはそんなに簡単なことではない」

なんという正論。しかし、この先のドラマにのぼせ上がったわたしは、いかにも思慮の浅い、ご都合主義的で陳腐な反論をしてしまう。「大変だが、みんなでがんばればクラスの団結力も強まるだろう」

その場にタイムスリップして、自分を殴ってやりたい。「なんだそのフワフワした言い分は!!」

そこにAちゃんは強烈なカウンターを打ち込んできた。「生き物を、みんなの団結という目的のための道具にするような考えは嫌だ」そう言って泣き出してしまったのだ。

この人は、なんと大人なのだろう。小学校4年生の発言とは思えない。わたしはこの出来事がずっと心に刺さり、折にふれては思い出していたので、中学2年ごろに本人にそのことを覚えているか聞いたことがあった。本人は忘れてしまったと言っていた。

結局、学級会は担任の指示で中断、結論は出ないまま保留となってしまった。

その日は小鳥を教室に置いて下校することになった。弱った小鳥を放置するなど、常識で考えればもってのほかだが、そんなことにまで思い至らないのが小学生の浅知恵だ。

 

次の日に登校すると、既に教室では何人かの女子生徒のすすり泣く声が響いていた。小鳥は既に胸のかすかな上下も止め、目を閉じ、動かなくなっていたのだ。

わたしは愚かにも現実を受け入れられず、奇跡がおきて小鳥が元気にならないか祈ることしかできなかった。

そんな子供に生き物の世話など土台無理な話だったのである。担任は安堵したに違いない。Aちゃんは「言わんこっちゃない」とでも思っただろうか。

その日の昼休み、小鳥を拾った数人で、学校の裏の花壇の脇にお墓を掘って小鳥を埋めた。世のお約束通り、割り箸に「キイちゃんのおはか」と書いて地面に刺した。

毎日お参りするからね、なんてきっとその時は言ったのだろう。でも、きっとそれは長くて1週間程度だったろう。記憶には残っていない。

 

キクイタダキは「キクイ・タダキ」ではなく、「キク・イタダキ」。頭の頂に菊の花を冠した鳥だったのだと気付いたのは何年も先のことである。

そして美しい野鳥に心奪われ、外に出ればいつでも街路樹や上空へとキョロキョロと視線を巡らせる悪癖を身に付けるのは、さらに十年以上先のことである。