サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

いでよ新たな武勇伝

毎冬恒例の会社辞めたい病の症状がなんとか寛解した。

人生において大事なことと定義されるような活動は仕事だけというわたしにとって、会社辞めたいはすなわちぜんぶやめたいである。冬になり心の調子が悪くなることに起因すると考えている。北の方の人にありがちなことだと思ってるのだが、どうなんすかね。

 

さて、年末に向けて、飲み会が増えていく。わたしは持ち前の外面の良さから、また犬みたいにヘラヘラしてシーザーサラダを取り分けたり鍋のアクをとったり、レモンを絞ったりするのだろう。おじさんのご機嫌をとるのも技能である。お酒もがぶがぶいただいて、減ったグラスを見つけたら、メニューを手渡しピンポンせよと後輩に命じるのだ。

悪しき習慣とも言われるが、「それくらいやってもバチは当たらないじゃない」と思ってしまう昭和生まれだ。他人に気を使うのは、やり慣れないと難しい。酔いながらならばなおさらだ。相手の呼吸にあわせてタイミングをはかれと周りには伝えているのだが、なかなか伝わらないものだ。わたしの周りは決してお上品な育ちをしてきた人ばかりじゃないので、親切のやり方がぎこちない。自分と相手をよく知って、親切のうまい人になってもらいたい。それが生きる力というものだよ。

セクハラだパワハラだと怒られるかもしれないが、きみたちもっと自分の世界をぶっ壊してみなよ。ぶっ壊れたあとの世界は案外清々しいのにな。

 

自分の世界が壊れた時のことは絶対に忘れない。

「我思う故に我あり」という言葉と出会ったこと。夜中の廃校に忍び込んで探検したこと。30才年上の男性のタンデムシートに乗せてもらったこと。100キロで峠を駆け抜ける友人の車の助手席で目を回したこと。夜中の国道の真ん中でまっすぐ前を指差したこと。外国人のお姉さんたちのお店で酔いつぶれたこと。歌舞伎町で知らない人と昼までカラオケしたこと。求人誌に自分の顔写真を載せたこと。友人と海外に現地集合で旅行したこと。チャイナタウンで浮浪者に服を汚されたこと。いちばん大切にしてきたものをえいっと捨ててしまったこと。いちばん大切にしてきたものからえいっと捨てられてしまったこと。それを「その程度のこと」となじられたこと。「その程度のこと」と慰められたこと。他人を傷つけたとしても自分は自分の人生を生きていいんだと知ったこと。自分はああしたいこうしたいとみんなに言いふらしていいんだと知ったこと。

文字にすれば些細な出来事だけれど、勝手に作った心の壁をどんどん踏み越えたり無理やり踏み越えさせられたりしてきた確かな足あとだ。怖かったり、腹が立ったり、びっくりしたけれど、絶対忘れないことが増えるのは豊かなことだ。憎いと思うこともあるけど、過去にはお腹を出して降参してしまうスタイルでいこう。負けるが勝ちである。

 

さてこんな話を飲み会の席で話すことは彼らの価値観では「武勇伝」とか揶揄されるのかな。わたしは他人の武勇伝をもっともっときいてみたいけどな。そこにあるあなたのドラマを教えてほしい。そしてわたしはあなたにぴったりのトラウマはどんなメニューがいいのかなと、悪巧みする。そのトラウマの先にあるのは、もちろん新たな武勇伝だ。

合コンさしすせそと呼ばれる「さすが!」「知らなかった!」「すごい!」「センスいい!」「そうなんですか?」の相槌は、何も女子会での悪口集めだけに使うわけじゃあない。そうやってあなたをいい気分で語らせて、ニコニコ頷きながら、あなたのさらなる武勇伝に寄与する悪どいアイディアを考えるのである。

あなたの人生がもっとスリリングでエキサイティングなものになるように、わたしには加害者として生きる準備がある。立派な老害になるぞい!