読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

手に職がほしけりゃ愛をあきらめな

稼げないよりは稼げたほうがいい。

なにも、年収◯千万円とか、そんなレベルの話ではない。

自分と、大人がもう一人くらい身を寄せあって慎ましく暮らせる程度の稼ぎだ。都会と田舎ではその額は随分と違うが、「まあ、働けばどうにかなる」という心の自信は、後天的に身につけられる公平なものだ。

 

自分が愛されるに足る存在だとか、生きていてもいいんだという自信は、残念ながら後から身に付けるのは難しい。ないものはないのだ。若いうちにさっさと見切りをつけて次に進もう。

何かで埋め合わせしたいならば、タバコやカフェインやアルコール、ギャンブルやゲームやインターネット、創作やスポーツや旅行など、多くの種類に少しずつ分散して依存するのが良いだろう。これは生きるために必要な経費と割りきってしまってよい。逆に一人の他人に依存するのはあまり良い考えではないと思う。だからわたしは家族や恋人が自分以外の何かに依存することを許さないある種の人間(女性に多い)がすごく残酷に感じられ、恐ろしい。

 

基本的な自尊感情が満たされた仕様の人間も、稼ぐ能力に関してはゼロからのスタートという意味では愛より公平だ。自分から求めさえすれば後天的に身につくチャンスがとても多い。稼ぐ力は心の使い方の技能だからだ。ただし、正しいやり方を反復しなければ身につかない。よき師に教わればはやく身につくし、その機会がなければいつまでもお金と縁がないままだ。お金と縁がなければ不幸せかといえば、必ずしもそうではないが、愛に縁がない人はせめてお金と仲良くしたほうが、どちらもないよりはましだと思う。だからわたしは全ての大人が若い人に稼ぐためのルールやマナーを教えるのが当たり前だと思っている社会であればいいと思っている。

ただ、愛に縁がない人が稼ぐ力を身に付けるのは難しい。なぜなら、心の体力がないからだ。すぐに嫌になって投げ出してしまうのだ。だから教える方も技術が必要になる。愛に満ち足りた人が愛に縁のない人間を教育するのは難しい。かれらは自分の加害性に鈍感すぎて、持たざるものを簡単に傷つけ、それに気づかない。「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」の理論だ。

さて、わたしの仕事の師は3人いる。師事した時系列に、母、新卒で入った会社の上司、今の会社の上司の3人だ。それぞれ、「段取り」「気配り」「勇気」を教わった。全員が、愛に何らかの問題を抱えた人間であるが、仕事の腕は一流だ。ちなみにここで「あなたはお母さんの愛情をじゅうぶんうけているじゃない」とか言い出す奴はペットの小鳥と農馬の違いがわからない根本的に鈍い側の人間だと思う。

 

手に職があって羨ましいと、よく女性から言われる。わたしは正直、手に職なくてもおまえには何の疑問もなく誰かに守ってもらえる才能があるんだから贅沢言うなと思う。ほんとうにジリ貧の女は軽々しく他人に「羨ましい」など言わないものだ。

愛されない人間は賢くなる道にさっさと切り替えたほうがよい。どうすれば他人を自分に依存させられるか、自分と他人をコントロールする力が稼ぐ力だ。そのためには他人を観察しなければならない。他人が何を考え、何を恐れ、何を欲するか。たいていの仕事では、他人を安心させればお金がもらえる。安心させるためには不安をよく知らなければならない。愛に縁がない人間は不安の宝庫だ。答えは自分の心がよく知っているだろう。何が不安で、どうすれば安心できる?それを他人にやれば、他人は喜んでお金をくれる。それが稼ぐ力だ。なにもマネージャーを目指さなくとも、優秀なプレイヤーでありさえすれば、食うには困らない。

 

細やかに気が利き、よく仕事ができる人間を見ると、どうしてこの人はここまで出来なければならないのだろうと、わたしはとても気の毒になる。

本当の天才たちばかりの上流階級についてはわたしはよく知らないが、少なくとも、ブルーカラーでも上場企業でも、ある種の仕事がよくできる人をみると、すこし悲しい気持ちになる。

しかし、何も持たずに生きていくにはこの世は厳しすぎる。