サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

伝家の宝刀・無難相槌

えらい人が行くべき会合に、えらくないわたしと横の部署のえらくないAとで参加することになった。

 

わたしはこの会社ではこれからも絶対えらくなれないことがわかっている。わがままだからだ。なので、今回のえらい人の会は物見遊山的に無責任に楽しみにしていた。どんな顔の、服の、声のおじさんがいるのか、どんな話が聞けるのか。わたしは「わたしのチームはわたしの会社!わたしの事業!わたしがボス!社長の金で好き放題やって、た~のし~い!」と思って仕事をしている。(不安なことも嫌なこともあるが、最悪どうにもならなければバックレればいいと思っている)そんなわけで外の情報は金儲けのネタの宝庫で、とっても興味深いのだ。

何より、外出すればその時間は自分の仕事をサボれる。まあ、会社に帰ってきたらやらないといけないんだけれど。

 

同行したAはこの会の出席を嫌がっていてとてもイライラしていた。その嫌がりようがあまりにあんまりで不思議だったので、行きの車内で尋ねてみた。

「どういう点で嫌なんですか?席に座って話を聞いてくるだけですよね?内容に興味がなくて嫌なんですか?人が多いのが嫌なんですか?おっさんたちの加齢臭が嫌なんですか?嫌いな人が来るから嫌なんですか?」

考えつく要素を羅列して質問した。悪気なく相手を質問攻めにしてしまう悪い癖だ。

Aは言った。

「えらい人が行くべき会なのに、こちらに押し付けられたのが……。いや、えらい人の同行ということならべつにいいんですど」

おお、Aよ。同行者のわたしがもっとえらければ君の心を守ってあげられたのに。Aには申し訳ないことをした。

いやまさかAはわたしがいっぱい質問するものだから、責められているとおもったのかな。すまんA。わたしはただ他人が何を嫌がるのか、たくさん知りたいだけなのだ。それだけなのだ。

少し考えてわたしはこう質問した。

「納得いかないことを強いられるという点で嫌ということですか?」

「うーん、そうですね。私、なんか変ですよね……」

「変ではないです。例えば、人身事故で電車が遅れて待たされた場合、いちおう『しょうがない』とは思いますが、イライラもします。『勝手に身投げてんじゃねーよクソが!』と思います。だからAさんが嫌だと思うことはもっともなことだと思います」

わたしの会社のえらい人は遠いところへ出張中で、代わりのえらい人が他県から駆けつけることもできなかった。それについてわたしは「どうにもならないしょうがないこと」と思っていたので、Aにそのように答えた。

 

しかし、そう答えてからわたしは少し違ったかなと思った。Aにとっては、「電車の遅れ」に比べて、「不本意な指示」の「どうにもならなさレベル」はもっともっと低いものだったのかもしれない。大げさに言えば、「えらい人は部下であるA自身が嫌な思いをしなくても良くなるように、もっと努力すべきである。えらいひとはすべき努力を怠って自分にいやな思いをさせた」という考えにたっていたのかもしれない。

ああ、わたしはまたトンチンカンなコミュニケーションをしてしまった。

 

ちなみに、うちは小さい会社で、経費も人も慢性的に足りない。しかも今回の会の主催は太い客でもないので、無理して人を用意する必要があるとも思えない。そこで、ほかの会社のえらい人たちとそこそこ面識のあるわたしと、Aがいる部署ではいちばん年長のAを指名したうちの会社のえらい人の判断は至極妥当だとわたしは考えている。

 

 だが、これがもしわたしにとって納得いかない指示ならどうか。例えば、わたしがもし毎日社内の全員分のお茶くみを強いられるとしたらどうだろう。

「それはいやだ。その分の賃金をカットしてもいいからやらせないでくれ。なんなら自腹でお茶のサーバーを導入してもいい。どうしてもわたしにやらせたいなら、それをわたしにやらせる意義について説明して納得させてくれ。それによってわたしの徳が高くなるとか、他部署への社内政治とか、そういう意義があるなら納得せざるをえないが、誰のなんの利が見込めるのか理解出来ないうちは断固拒否だ!」と思うだろう。

いや、思うだけでなくわたしの上司に猛烈に抗議する。言いたいことを全部言う。聞きたいことも全部聞く。わたしは「怖い」というふうに周りに思われているそうだが、わがままで不器用なだけだ。と、自分では思っている。

いや正直に言おう。じつは理不尽のスパイシーな香りが鼻腔をくすぐると血管がざわざわしてくる。その理不尽、どう料理してやろうか。よく研いだ包丁で事実関係を分解し、煮えたぎる油に次々と放り込む。提供者はその強烈な熱と音に顔をしかめるが、わたしはお構いなしで鍋をあおる。やがて大皿へ豪華に盛り付けられた回答と解答を黙って貪る奇特なグルマン以外はもうわたしを相手にしなくなる。いい気味だ。

冒頭で説明したように、わたしが絶対えらくなれない理由、これを読んでいる方にも何となくわかっていただけただろう。そう、わたしはわがままでナルシシストで利己的で、どうしようもなくサラリーマン失格なのだ。

 

もちろんAはちゃんとした常識人なので、そんな抗議はしない。きっとこれからも「理不尽な」指示に従い、そのたびに嫌な気持ちで過ごさなければならない。わたしがAの立場なら、そんなのつらずぎる。

ああ、Aはこの会社に毎日通い、どうやったら幸せになれるのだろう。そんなことわたしが考えてもしょうがないのはわかっているのだが、考えが止まらない。そればかりか、わたしは不用意な太刀筋でAの心をざっくり斬りつけてしまったのかもしれない。

Aの心の防御力は豆腐以下だなあとはいつも思うが、まいにち嫌な思いをして口を開けば弱気なことばかりこぼしながらも会社を続けるAはあんがい鈍感でタフなやつなのかもしれない。

 

わたしは車内でAに質問なんかせず、伝家の宝刀「それは大変でしたね~」を振りかざすべきだったのか。

 

その刀、銘は「無難相槌」。刀なのに槌とはこれいかに!

コミュニケーションはむずかしい。