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サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

愛想よく出来ない晩もあるんです

一人でラーメン食ってたら知らん奴に絡まれた!

 

言い換えると、一人でラーメン屋で夕飯を食べていたらわたしの後に入店し、隣の席に座った初老の男性に何度も話しかけられた。

 

わたしは人見知りである。この、パッケージ化された「人見知り」という言葉を分解するとこうだ。

他人は害意をもった存在で、対応を誤るとその刃がこちらに向けられる。間違った対応で相手を刺激しないように気を張るのがとても疲れる。さらに、その警戒心を見せることが相手の暴力性を余計に刺激してしまうのではないかという不安、警戒心をうまく隠せているかという不安、すごく頭が忙しくて疲れる。こういったような内容だ。

軽いノイローゼのようなものだ。

 

上記のとおり「警戒心を隠す」ため、わたしは初対面の人間へも一見フレンドリーに接する。それが他人には「外向的なふるまい」に見えるため、わたしは自分で作り出した外向的なイメージに後々苦しめられることになる。「はじめて行ったお店で店主と楽しげに会話をしたあと、二度とその店にいけなくなる現象」を生み出す原因だ。

これはつい先日、同窓会で会った友人に「内気なくせに、無理してフレンドリーにする」癖を指摘され、はっきり自覚したことだ。持つべきものは歯に衣着せぬ友人である。

 

とはいえ、あからさまに人見知りをして「弱い人間」という認識を持たれた時、相手が牙をむく想像をするだけで恐ろしい。恐ろしさは感情だ。それを克服するためには「意志」の力を要する。

 

そのラーメン屋は前々から気になっていた。テナントビルの地下一階にある、どちらかと言えば入りづらい部類の店だ。残業でとにかく腹が減っていたわたしは、通勤路の途中にあるこの店の存在を思い出し、少し勇気を出して恐る恐るビルの階段を降り、店の前のメニュー表でラストオーダーの時間と値段の確認をした後、えいっと暖簾をくぐった。すでにアルコールがまわったサラリーマン3人グループが店主と談笑していたのを見た時点で反射的に「失敗した!そういう店か!」とは思ったが、「やっぱいいです」と言えない気弱さと腹の虫が結託し、お冷もまだ来ないうちにポソッと「塩ラーメン」と店主に告げた。それと前後するようにもう一人の客が暖簾をくぐり、カウンターの端で縮こまっていたわたしの隣に通された。ここではシャッポというべきか、ハットをかぶり、ツイードのジャケットを着た60代くらいのその男性は、煙草の箱を取出し、店主に「マッチはありませんか」と尋ねた。店主は「マッチは置いてませんが、わたしのライターをお貸ししましょう。その前に、隣のお客さんに確認して下さいね」

(ぎゃっ!!こっちに振られた!!)

「お嬢さん、タバコを吸ってもよろしいですか?」という客の問いかけに対し、わたしは反射的に「ええ、どうぞ」と答えた。こういう時に、とっさにご遠慮ねがいますと言える豪傑に私はなりたい。

 

だいたいだ。わたしはもうお世辞にもお嬢さんと呼べるような風貌ではない。30代の男性に「ぼうや」と言うようなもので、いい大人に対してそれは甚だ失礼な態度である。瞬時にわたしは「デリカシーのない嫌な男性だな。この人がおそらく女性一般にそうしているように、わたしは不当に見下されているな。」と思った。たとえば、商売人が中年の女性へも「お嬢さん」と言うのはわかる。「お世辞」と引き換えに商売を成立させる意図が見えやすいからだ。しかし、意図の見えないお世辞は気持ち悪いにも程がある。しかも今回は褒めてやっていると思っているのは本人だけで、こちらはけなされていると受け取っているのだ。ダサピンクと同様に、「女には若いと言っておけば喜ぶのだろう」という見くびりが、最高にこちらを苛つかせる。

 

男は矢継ぎ早にこちらへ質問を投げかけてきた。

だが、ここが勇気の出しどころだ。意志の力を使うのだ。ここには店主もいる。万一トラブルになっても、最悪なんとかなるだろう。相手は男性とはいえ初老なので、熱いスープをかけて丼で殴れば互角程度には戦える。愛想よくしなくても、ここなら殺されなさそうだ。そっけなくしても安全だ。

「ラーメンがお好きなんですか?」

「まあ…。」

「近くにお住まいなんですか」

「いえ…。」

「札幌では女性一人でラーメンを食べるのは一般的なんですか?」

「さあ…」

「東京では見たことがないもので…。」

「はあ…」

完璧なコミュ障対応だ。

これこそがわたしの意志である。

 

ちなみに、わたしは東京に住んでいた時も一人でラーメンを食べていた。きっとこいつの生活圏に一人でラーメンを食う女がいないだけだ。それか、「女性が一人でラーメンを食べるべきではない」と考えているかだ。しゃらくせえ。だいたい、金も積まずに年下の女と会話しようとしたって、そうはいかんざきだ!!

 

こいつが期待している相槌はこうだったろう。わたしが普段やる、得意のやつだ。

「ラーメンがお好きなんですか?」

「ええ、よく食べ歩いてます。やだ恥ずかしいわ」

「近くにお住まいなんですか」

「いえ、◯◯のあたりです」

「札幌では女性一人でラーメンを食べるのは一般的なんですか?」

「どうでしょう?わたしは仕事帰りについつい寄ってしまいます」

「東京では女性一人って見たことがないもので…。」

「まあ、東京にお住まいなんですの?どうりでファッションも洗練されていると思ったら!こちらへはビジネスでお越しなんですか?」

 

素っ気ない対応をしているうちにラーメンが運ばれてきた。同じ看板メニューの塩ラーメンだった事に対し、ダメ押しで「同じですね」と話しかけてきたため「はあ…」と相槌をうった。これより先はもう、目の前のラーメンに集中するのみである。そのうちに隣の男は店主にターゲットを替え、それ以上絡んでくることはなかった。意志の力が、悪霊を退けたのだ。

しかしこの男、店主を異様に持ち上げる態度といい、何かにつけて自分の話をしたがる様子といい、周りからあまり相手にされていない可哀想な人なんだろうなと思った。しかし、そもそも情けをかければつけあがるような人間だから相手にされないのだろう。

自分より弱いと踏んだ「若い女」が服従の表現である「愛想笑い」をしないことに怒ることもせず、すごすごと引き下がった、哀れ、ラーメン男。

 

わたしより先に会計を終え、ラーメン男は店を後にした。わたしは、「万が一男に待ち伏せされていたら丸腰では戦えない、殺されるかもしれない」と思い、少し時間をおいて恐る恐る店を出、トイレや階段の先をキョロキョロと確認しながらビルを後にし、人通りの多い通りを通って帰路についた。どうしてラーメンを食うだけでこんなに恐ろしい思いをしなければならないのか、腹立たしい限りである。ただ、ラーメンは美味しかったので店にはまた行こうと思う。

 

ただ、今回は「素っ気ない対応をしても殺されなかった」という経験が、わたしにとっては大きな自信につながった。もちろん相手がフィジカル面で勝てそうにない相手であれば、なるべく刺激しない工夫は必要だが。

 

わたしはマッチョなホモソーシャル社会で頑張りすぎてミサンドリーをこじらせた性格の暗い女だという自覚はじゅうぶんにある。ここでそれは懺悔するので、愛想よく出来ないほど疲れた晩はどうかそっとしておいてほしい。