サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

さよならで自由になれることもある

仕入先を変えようとしている。

同じメーカーの別の支店経由にしようとしている。

 

メーカーの担当者は50代男性、これまでそんなに結果にこだわって仕事をしてこなかったのでうちみたいな弱小会社の担当をやらされているのだと思う。

その担当者がミスをした。それはいつものことだが、今回は再三確認したにも関わらずミスをした。さらにそれについて、うめき声をあげるだけで、何のリカバリの提示もなかった。わたしはついに「それはおたくの都合です。仮に、わたしがそれに情けをかけたとしてもこちらに何のメリットもありません。ダメです。なんとかしてください。」と告げた。

 

それはそうと、わたしはメーカー営業という仕事じたい、自分ではやらないだろうなと思っている。なぜなら、自分が売るものを自分で選んだり作ったりできないし、売る相手もあまり自由に選べないからだ。わたしは基本的には自分の技術を売っているので、それを人に勧めるのがとても楽だ。あなたがどれだけ楽をできるか、プロジェクトにとってどれだけのメリットがあるか、息をするように語ることができる。問題解決の方法を提示するときも、相手の状況を鑑みながら幾つかの方法を提示する。自分ならこれは嫌だな面倒だなお金かかるなという方法は勧めない。世の中にある、あらゆる方法の中から気に入って貰えそうなものを好きに選んでよいのだ。自由に正直にビジネスができる。

インターネットや本や別の業界から仕入れる知識のがらくたを目の前のゴザの上に乱雑に広げ、そこからキラっと光ったものをむんずと掴んで取り出し適当に練り上げた大げさな謂れを貼り付けそれを売る、これがわたしの商売だ。

でも、メーカーの営業はよく磨かれたガラスのショウウィンドウに整然と並べられた由緒正しい商品を、手袋をはめた手で丁寧に取出し、お客様にお届けするのが商売だ。そこにミスが有ってはいけない。

わたしからみればなかなか窮屈な商売に見えるが、どうやら世の中の大半は「自由」というものをそんなに求めていないように見える。彼らは争いを好まず、簡単に飽きてなげだしたりせず、穏やかに生きることを欲しているように見える。彼らからすると、わたしのような商売は胡散臭く、わたしのような人間は強欲でいんちきに見えるのだろうか。はたまた、そんなに他人の生き方についていやらしく観察などしていないのだろうか。また、さらに広大な「自由」に生きるひとたちにしてみれば、わたしなど鳥かごの中で飛び回ってピーヒョロ鳴いているだけに見えるのだろう。みんな「自分にとって心地よい程度の自由」を求めてうろうろ生きているのかな。

 

前述の彼は、定型的な商品説明はほんとうによくやってくれる。しかし、ショウウィンドウから取り出してお会計するまでの一連の動作がまるっきりだめなのだ。買ったものを次のお客に売りつける行商人のわたしにとって、それはほんとうに困るのだ。

いままでは、手取り足取り確認しながらやっていたが、ひょっとして彼本人は、この商売を嫌々やっているのではないかという考えが、今回確信に変わった。もちろん本人に「仕事嫌いなんですか?」とは聞かない。その質問にたいする答えは「そんなことないです」しか用意されていないので、聞いても意味が無いからだ。

なので、あくまでそれは仮定として、彼も私もあちらの会社もこちらの会社も喜ばしい結果となるように、わたしは上司とその他関係者にお願いして、仕入窓口の営業所を他県の営業所に代えることにした。

 

こうやって、知らない間に自分の手元から仕事はなくなるんだなあとわたしは実感を伴って理解した。理屈は知っていたが、ここまで実感したのははじめてだ。逆に、わたしはきっと今まで自分が知らない間に、彼のように仕事を失ってきたのだろうとも思った。

ただ、見方を変えれば、嫌いで苦手な仕事は離れていくように世界が勝手に動いてくれるということだ。世界はうまくできている。きっとかれはずっと、そうやって自分の周りを最適化してきたのだろう。すごく雑で嫌悪感を催すやり方だが、それはわたしの価値観で評価したにすぎない。

ごく乱暴にいうと、ビジネスパーソンとしての彼はおそらくもう定年までカレンダーをめくるだけの人なので、弱小取引先が一つなくなることなど痛手のうちに入らないだろう。彼の会社としては別にどの拠点から売れようが同じことだ。そう考えれば、一見非情に思えるビジネス上の最適化も、非情なだけではないということだ。

わりとセンシティブな作りをしているわたしの脳も、なんとかすっきり納得してくれた。他人に可哀想なことを言ったりすると、そのあとすごく苦しいのです。(言われた方はきっとすぐに忘れているだろうけど。)

 

ドラマや創作ならば、ここでわたしが慈悲の心を持って彼を更生(?)させるのかもしれないが、30歳を過ぎて仕事における信頼関係を大事にしない人はもうダメだと諦めている。人を諦めるのは疲れる。

さよなら。きみは、もういらない。