かさぶたを白く覆った雪ダルマ
更新前の古いバージョンの自分に引き戻される苦行、それが同窓会だ。
大勢が集まれば、当時の振る舞いを期待される。それは明言されるようなものではないが、おもむろにさされた指先の方向を無意識に向いてしまうような感覚で自然に促される。苦い挫折をいくつも経験する前の自分として、心の複雑骨折をする前の危ない歩き方をさせられる。
「みんな、ぜんぜん変わらないね」
誰かが言った。
果たしてそうか。みんなは知らないが、わたしは悲しいくらい変わってしまったのだよ。
暴利の商売やパワーゲーム、奔放な恋愛、あのころ「テレビの中の汚い大人の世界」だと思っていたことを一通り経験し、その都度後悔や、合理化、自己憐憫、責任転嫁した。もっと些細な嘘やごまかしや見下しやその他の大小さまざまな罪のなかで「正しいわたし」という同一性はぐちゃぐちゃになってしまった。中原中也が悲しんだようにもうどうしようもなく不可逆的に「汚れっちまった」のだ。その汚れがこびりついたのは、不真面目なセックスをした時か、気遣いのメールを見ないふりした時か、知識を脅しに使った時か、エクセルの計算式をいじった時か、持たざるものを嗤った時か、かつて大切だった人を嘘つきと罵った時か、死にたい死にたいと母に告げた時か。どんなに洗っても爪を立てても剥がれ落ちてくれない怒りが、悲しみが、老いが、わたしの輪郭をかつてわたしがなりたかったわたしでないものにしてしまった。
あのころと「ぜんぜん変わらない」マスクを完璧に被れていたかどうかはわからない。正しく、やさしい人間になろうとたいせつに両手で心を抱えていたころの顔だ。社会の役に立ちたい、身近な人を大切にしたい、まわりをがっかりさせず、自分のことは後回しで、100人いれば100人が納得するような生き方が本気でできると信じ込んでいた頃の顔だ。
わたしはあなた達が知っているわたしでは、もうない。
19歳のわたしがそうしたのと同様にあなた達が憎み蔑むような、臭くて醜い怪物になってしまった。人を騙し、人を踏み台にし、自分の欲望を満たす怪物だ。そう、この世界であなたの横にもわたしの横にもひしめきあって溢れている怪物だ。
そしてまた、あたかも本物の正しい人間のような顔をしてあなた達の前に現れ、善き人間のような顔をして、傷ついているだれかの心臓を簡単にえぐったにちがいない。
ああ、わたしはもっと清廉潔白な人間になりたかった。一つも間違いを犯さず、誰も傷つけず、正直で強くやさしい生き物になっていたかった。
ひどく疲れた。