読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

私の変わったこと、変わらないこと

「4年間で変わったこと、変わらないこと」

 

11月末で今の仕事を本格的にはじめて丸4年になる。

仕事内容については詳しくは書けないが、おおまかに業界で言えば通信という分類になるのだろうが、その中でほんとうに枝葉の設計の真似事のようなことを生業としている。同じことができる人間は世の中に何人もいると思うが、誰にでもできることではないという自負はある。入社当時は20代だった生意気な小娘にたくさんのチャンスとピンチを与えてくれたいまの会社にはほんとうに感謝している。

 

わたしはもともと建築を勉強し、新卒の就職から3年間は建設業界で働いていた。激務により心身のバランスを崩し退職するまで、男性ばかりの業界で極限まで気を張り、毎日、肺の上の方だけで辛うじて呼吸をつないでいた。「自分にはこれしか生きる道がない」と強く信じて疑わなかったからだ。ついに食らいつく握力も尽き、そのレールから転落するときは実に呆気無いものであったが。

 

休養中に医者からアドバイスされたことは「何か別のことをやってみればどうか」であった。ほかの何かといわれても、「これしか出来ない」と思い込んでひとつところに凝り固まっている人間に何ができようか。語学や法務系の資格に手を出そうとしてはみたが、如何せん、興味がなさすぎて「できるようになる気がしない」という冷たい壁に阻まれる。四方八方を「できるようになる気がしない」壁に取り囲まれ立ち往生したわたしは、仕方なく今いる場所での上を目指すことにした。「とりあえず、この業界でいちばんむずかしい資格をとって、それから後のことは考えよう」

いまから考えると、とりあえずで取れるようなものでもなかったが、その時は「できるはずない」壁に立ち向かうよりは、いくらかましであった。

 

予備校に通うにはお金もたくさん必要だったため、ひとまず「できそうな」仕事を探した。駅弁大学ではあるが国立大の理系学部を卒業し、「会社で唯一の女性総合職新人」としてもてはやされたプライドが「派遣」の「一般事務」を自らに許すまでには、多くの時間と葛藤を要した。頭では「職業に貴賎なし」と思っていても、「上」を目指して受験や就活に取り組んできた者がほんとうの意味でそれを受け入れるのは、自分の半生を否定するようなものであり、想像以上に痛みを伴う。世の期待をあまり受けない女性の立場でもこれならば、いわんや男性をや、である。

不本意ながらも派遣会社に登録し、なけなしのプライドが「一般的には女性が嫌がる、男社会のハードめな職場を希望します」と担当者に告げた。そうして紹介されたのが、いまいる業界の仕事である。同じ工学技術系ではあるが、ほんとに、まったく興味の「興」の字の書き始めの「ノ」の部分さえなかった業界であった。「とりあえず、リハビリだし、言われたことだけおとなしくやろう。地味だけど気が利くハケンさんになるぞ。無難に無難に。」とやけくそに意気込んで始めた仕事、その時は以後それで食っていくことになるとは思ってもみなかった。

はじめての派遣先の飲み会で、社員の男性から言われた言葉「この業界で仕事すればいいじゃない」、その時は「(冗談でしょ~~!?)ええ…そうですね~。」と濁したが、すでに眼前に新たなレールは着々と敷かれていたのだ。

その派遣先は非常に暇だったため、新たなスキルをいくつか身につけ、だいたいそのへんの技術の概要を理解し、関連する申請や手続きなどを覚えた。時給が安いぶん何か身につけて元をとらねばという、生来のセコイ考えによるものだ。期間が満了する頃には「地味だけど口が悪いハケンさん」は、社会で再び働いてゆくために必要な、ささやかな自信のかけらをお土産にいっぱいもらって「インターン」を修了した。

 

それから前述の試験を受験し、合格発表までの短期間のつなぎの仕事として出会ったのが今の職場である。また似たような業界だなあと、その時は軽い気持ちで「事務さん」として始めたのが運の尽き

そこにいたメンバーが目をつけたのはわたしの「本業」の建設関係の知識と技能だった。驚くほどそれが役に立ち、大の大人のおっさんたちに20代の事務員の女が技術の説明をし、現場に行って指示をするという、端からみるとあべこべな展開に陥った。わたしとしては、建設業界時代に日常的に行っていた業務なので、「あ~結局またこれか」程度のことであったのだが、まだまだどこの業界も女性が当たり前に活躍する時代には程遠いのが現状なのである。わたしのような物好きの女性たちがいまあちこち怪我をしながら少しずつ切り拓いておりますので、次の時代の女子たちにはもう少し歩きやすい道を歩いてもらいたいな。もうこれ以上「SHINE(しね)」とか言われても、こちらにはもう差し出す魂がございませんよ。トホホ。

 

そんなこんなで、新しい業界は想像より居心地がよく、わたしが「こんな程度」と思っていた武器を周りは有難がってくれ、仲間としてとても大事にしてもらっている。もちろん新しい修行もして、「ロッドしか装備できない見習い戦士」から「魔戦士レベル5」くらいにはなった。ただ、こうして医者のいったとおり「何か別のこと」ができたのは、巡り合わせやラッキーもあるけれど、自分の凝り固まったプライドをかなぐり捨てて、かつて「下層」だと思い込んでいた暗い海に飛び込んでみたからだと思っている。実際、それまで別の世界の人間だと思っていた「中卒」「元ヤン」「F欄」とも仕事を通じて少しずつ仲良くなり、人が悩むことや怒ることって、そんなに多くは違ってないんだということがわかってきた。分かり合える部分もあるかもしれないという目線で人を見れば、相手のほしいもの、困っていることに対する勘が冴え、問題解決のアイディアが湧くようになった。だから、この4年で飛躍的に変わったのは、技術の内容とかそんな話ではなく、「他人を見る目線」だ。「上から目線の嫌な女(byカチュア姉さん)」だったわたしは、ずいぶん、「横から目線のふつうの女」になれたように思う。「できるはずない」壁は、いままでは「頼れそうにない雑魚」と勘違いしていた隣人の頼もしい肩車にのせてもらってこえていけばいい。いつかどこかのインターネッツで出会った言葉の焼き直しではあるが、「上ではなく、遠くを目指す」のだ。

 

いまの会社で4年間過ごし、そろそろ次の景色が見たいと漠然と思い、何か目先を変えてみようと先月始めたのがこのブログだ。渦中にいる時はなかなか表現できないことも、でこぼこ道が少し落ち着き、足を止めて振り返ってみれば浮かぶ言葉もあろう。浮かぶ言葉で確かめたものがまた、先へと足を進める糧となることもあろう。

新しい何かを前に大げさに尻込みしながらも、できることからおずおずと小さく一歩を踏み出す態度はこれまでもこれからも変わらない。そして、横を向けば同じようにへっぴり腰で震える隣人がいる。