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サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

ごめんなさい。こういう理由でごめんなさい。ほんとは悪いと思ってないけど。

起)君は土下座を見たことがあるか

承)ムカつく謝り方ってある

転)ムカつかない謝り方ってどんなの?

結)他人との力関係から目をそむけない

 

起)君は土下座を見たことがあるか

土下座したことある?

わたしは土下座を見たことがある。

祖母が亡くなった時のことだ。お葬式で香典返しに記載する戒名に誤記があった。葬儀会社の担当者の手違いだ。担当者は新人の若い女性で、清潔感があり、嫌な印象を与えない誠実そうな人柄で、葬儀担当というデリケートで難しい役どころに、ぎこちないながらも一生懸命取り組んでいた。

祖母は高齢でピンピンコロリの大往生だったため、突然のことだったとはいえ、近い親戚と祖母を昔から知る町内の面々がかけつけた葬儀はみな穏やかな心持ちで故人の思い出を語り合う温かいものとなった。香典返しの誤記に気づくものも、ましてや騒ぎ立てるものもいなかった。火葬を終え、小さな箱に収まってしまった祖母と一緒に家族揃って家に帰ったのはもう日も暮れかかっていた頃である。

自宅の電話が鳴り、父に取り次がれた。電話を終えた父が言うには、戒名の誤記があったこと、それについて葬儀会社の方が謝りに来るとの事だった。

「ラッキー!菓子折りだ!!」わたしが瞬時にそう思ったのは言うまでもない。謝罪といえば菓子折りだ。六花亭だとなお良い。

程なくして呼び鈴が鳴り、担当者の女性ではなく40代くらいの男性が訪ねてきた。ドアを開けるなり男性はその場へ屈み込み、なんと、土下座をしたのだ。

(わあ!本物の土下座だあ!)

突然のことに家族一同、唖然である。いち早く、父が多少声を荒げて顔を上げるよう促した。そこからのことはよく覚えていない。菓子が何だったかも忘れてしまった。ただ、あの女性担当者が会社でひどく叱られたのではないか心配だということを家族で話したことは覚えている。

客であるわたしたち家族がイメージした謝罪の筋書きはこうだ。担当の女性と一つ上の役職の上司が訪れ、間違えるに至った経緯の説明、お詫びの言葉(feat.菓子折り)これだけである。ちなみに今後の付き合いがある関係なら、ここに再発防止策の説明も加える。そうすれば謝罪のあと、わたしの両親はきっと女性を慰め励ます言葉をかけ、その上司に対していかに彼女が一生懸命やってくれたかを説明したに違いない。

当時、激務のストレスで休職していたわたしは、担当の女性に自分を重ねてしまい、とても落ち込んだ。

 

承)ムカつく謝り方ってある

要するに、謝り方が悪く、かえって人をムカつかせた案件なのである。だって、ふつうあまり土下座なんてされたことないから、びっくりしちゃったわけ。

びっくりするのは心理的にストレスだ。びっくりがいいのは、びっくりのあとにホッとして笑顔になれるような時だけだ。謝罪にびっくりは向かない。野々村議員がいい例だ(本人は罪を認めてなかったけど)。ア゛ーー世の中を! ゥ変エダイ!!!

 

ムカつく謝り方の話がもう一つある。友人から聞いた話だ。

業務として頼んだ仕事に対し「それはわたしの仕事じゃないので、ご自分でおやりになってください。」とはねつけた次の日に「昨日はごめんなさい。」と謝ってきた年上の女性社員がいたそうだ。

普通だ。

何のイラッとポイントもない。これにイラッとされるのであれば、今後どうやって彼に詫びの言葉を述べればよいのだ。え~じゃあ普段私の謝り方にもイラッとしてるの?と尋ねると、「きみの謝り方は、本当は謝りたくないけど今後の関係もあるからけじめのために謝りますよという真意がビシビシ伝わってきて、別にイヤじゃない、むしろ面白い。今回の件は女を前面に出して媚びるような調子で来たから、嫌悪感を覚えた。」とのことだった。おおかた、その女性社員は家で家族に愚痴った際に配偶者から「それはお前が悪い」と指摘されたんだろうね、とゲスの勘ぐりを伝えたら、彼も同じように考えたそうだ。

たしかに、親密でない異性から媚びの姿勢で謝罪されたら私も腹が立つ。しかもたいていこれをしてくるのは自分を侮っている年上の人間だ。

 

転)ムカつかない謝り方ってどんなの?

わたしの謝り方は彼をムカつかせないそうだ。わたしは正直さや率直さを重視し、納得いかないことは伝えたうえで現時点で社会正義に悖ると自覚した点を謝罪する。「あなたはこういうところを謝ってほしいと思っているようだけど、それは私から見たらこうだし、ここで謝ると今後こうなってしまう恐れがあり、あなたとの関係性にとって不都合が生じそうだから謝れない。でもこっちの点についてはごめんなさい。」というような塩梅だ。相手が相手なら、わたしはボコボコに殴られてもおかしくないだろう。現にこのやり方でわたしは母親を何度も激昂させた。

しかし彼との関係性において率直さは好ましいものという共通認識があり、ただ一言の「ごめんなさい、わたしが悪かったです」では臭いものに蓋をする不誠実な印象を与えてしまう。野球部では好ましいこの方法が全く通用しない。

つまり、双方の関係性にふさわしい謝り方があるのだ。土下座男も、お断り女も、相手との距離感や親密さを見誤り、乱暴な言い方をすると「謝ってすっきりしたい」自分の気持だけをぶつけてしまった(と受け取られてしまった)ために不快感を与えてしまったように思う。

利害関係を超えた親密さのない相手には「ふつう」に「型どおり」謝ればいい。具体的には、伏し目がちに低いトーンで、ゆっくりと、詫びの言葉のあとに過失の自己分析と今後の方針を語るのだ。

 

結)他人との力関係から目をそむけない

謝罪はただ謝ればよいというものではない。世の中では謝罪会見などに備えた「危機管理コンサルタント」という業種が成り立つくらい、デリケートで難しいものなのだ。

また、本当に罪の意識を感じたとき、詫びの言葉は喉につかえてなかなか出てこない。殴られてもおかしくない状況へ、自分から向かって行くのは勇気がいることだ。心の準備をしていざ謝りに行けば、血の気は引き、蚊の鳴くような声を振り絞るのが精一杯になってしまう。

しかし、その勇気は意外にも相手にはよく伝わるし、そこに振り下ろす拳をもつ「剛の者」は案外少ない。まして、今後も関係性を続けなければならない相手を殴ってしまえば、今度は自分が殴られる番だ。それでも殴りかかってくるような野蛮は人間とは距離をおくか、自分がもっと力(金や暴力や地位)をもつというのが生きる知恵だがそれはまた別の機会に書く。

こちらを殴る力をもたない弱い相手に謝る場合は特に注意が必要だ。子供、女性、部下、後輩などがそれにあたる。多くの場合、彼らはだまって許す選択肢しか選べない。そんな相手をびっくりさせたり、へらへらと甘えてもたれ掛かっては、もはやそれは謝罪の皮を被った暴力だ。

心から謝ることは重要だが、心さえこもっていれば相手との力関係を無視できるわけではない。「感情」と「力関係」は全く別のものとしてこの世に存在する。生きるうえで他人との力関係の影響をゼロにすることはできないが、それはしばしば親密さの影に隠れ、親しい間柄をこじれさせる。謝罪の場は普段見えづらくなっていた力関係が顕著に可視化されるシチュエーションといえるだろう。相手の力と自分の力を天秤にかける時、相手を他人と認識する手順を省くことはできず、それは愛着のような暖かな一体感とは対照的な、冷たく静かな孤独感を伴う。しかし、勇気と知恵をもって上手に安全に謝り、落とし前をつけ、許し合いながら、面倒がらずに信頼を積み重ねる能力は、ピンチをチャンスに変える絶好の切り札なのだ。だからわたしは今日も後輩に対し根気よく「謝る時はこうやってみてごらん。なぜなら…」と、穏やかに丁寧に(静かな怒りを込めて)伝えるのである。どんなに嫌われても迷惑がられても、丸腰で戦場に出ようとする蛮勇には「そんな装備で大丈夫か?」と尋ねずにはいられない。