サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

その日暮らしが性に合う

9ヶ月に突入した。毎日、産休までの日数を指折り数えながら過ごしている。さすがに大きなお腹を抱えながらのフルタイム労働と家事は大変なものである。2人目とか、余裕で無理ゲーだと思う。

それでも、掃除は夫がやってくれるし、来週には待望の食洗機を買いに行くため、当面の暮らしについての不安は今のところない。

出産に際し、夫の生命保険のセールス担当から私の保険も勧められたが、精神疾患の既往を申告したところ通常のプランには加入できないとのこと。知ってはいたけれど、「普通」のレールからこぼれ落ちたツケがこうやって後からついて回るのは、人間の自尊心に一筋の傷をつけるにじゅうぶんだ。やはりわたしのお金は当面、貯蓄と運用で何とかする方向でやっていこう。また、なるべく病気にならないように、ゆるくやっていくのが肝心だ。

 

子の学資保険への加入も懸案事項の一つだ。自分がやってもらったレベルで、と考えると、やはりわたしが仕事を辞めるという選択肢はない。まだ生まれてもいない子供の大学進学まで考えなければいけないなんて、親になるというのは短期流動型から長期安定型の人生設計にシフトするということだ。全くもって性に合わない。海外旅行などの贅沢なレジャーのできない5年くらいでさっさと金の準備を終えてしまいたいものだ。

 

だいたい、掛け捨ての保険なんていうのは悪いことが起きる方にbetするというわけで、そんなものを選ぶためにリスクを数えることが気分のいいものであるはずがないのだ。とりあえず親が元気なうちはもしもの時の身内頼みにしておいても良いだろう。そして、病後5年の年忌が明けてまた普通の保険に加入できるようになる頃には育児にも慣れ、その後の人生設計もリアルに想像できるようになるはずだ。今は、ここから5年間を心身ともに健康に過ごしてお金も沢山稼ぐイメージを持っていた方が、何となく希望が湧いてくる。「まずは5年だけやってみよう」は「20年間何事もなく過ごそう」よりも、ずっと性に合っている。

インドアサマー

移住した。

盆休みはほぼ全て引越しに費やされて残すところあと2日。

 

某北欧家具の組み立てが思いの外大変だった。わたしは設計職、夫は施工職が本業なので、わたしが説明書を読み上げながら次に使う部品をセッティングし、順番に夫に渡し、組み立て作業をしてもらうという分業でそこそこスムーズにやることができたのだが、某北欧家具はデカいうえに部品の精度のばらつきが日本のそれよりも多く、4品目を組み立てる頃にはもうヘトヘトだった。作業中、夫が「レンタル彼女とかで、一緒に家具を組み立てるとかはあるのかな?」というトンチキな疑問を投げかけてきたので、「それはプレイとしてはいささかマニアックだし、男の部屋へ行くというのは一定のリスクもある。そもそも、家具の組み立て作業の戦力になる女性は控えめにいっても多数派ではない。しかし例えば、小劇場などで演劇をやっていて、日常的に大道具製作でゲンノウを振るっているような若い女性が、生活費と演技力の向上のためにレンタル彼女業をやっているというストーリーは十分あり得る。」というマジレスをしておいた。

 

わたしの父は進んで家事を行うタイプではなく、手際も要領も良くなく、いつも母に「やり方が悪い」と罵られながら渋々やっていた。子供の目から見て、それはあまり気持ちの良いものではなかった。だから、わたしは何となく男性が家事をすることにネガティヴなイメージを抱いていた。

しかし、夫はわたしよりもずっと手際が良く、気も回るため、戦力としての土台が父とはまるで違う。しかも、わたしの「おれのかんがえたさいきょうの段取り」に理解を示し、それに寄り添ってくれる寛容さもある。わたしはこの善い人間の自尊心を大切にし、惜しみなく感謝を伝えてゆかなければならないと、心の底から思った。こんな善い人と結婚出来たのは、わたしがそこそこ善く生きてきたからだよな、過去の自分まじありがとうありがとう!

もちろん、父も悪い人間では無いのだが、わたしと父の能力値のバランスが酷似しているため、父のようなタイプの人間と結婚して、わたしがリーダーシップを発揮してしまったら、船が山に登るが如くうまくゆかないだろう。両親の関係性も、父がリーダーシップを発揮し、母が父を尊重すればもっと円滑に家事がこなせるような気もするが、なんか二人の歴史の中で嫌なことが積もり積もってそうなったのだろうし、二人の間でしかわからない何かがあったり、子供からしか見えないものもあるんだろうなあと、そんな風に思った。そして、これからうちも家族が増えるにつれて関係性の変数が増えて、各々の役割も変化するのかなあとも。いずれにせよ、各人の幸福度が最大限になるように調整するのがわたしの役割だと思ってやっていきたい。

 

とまあ、ようやく新婚らしい浮かれた新婚生活を送っている。なんやかんや忙しいとはいえ、いつものお盆休みのように夏フェスに行きお外で目一杯遊び尽くすのに対し、今年は家の中でずっと過ごしているため、穏やかな夏休みといって差し支えないだろう。冷夏で天気もパッとしないし、たまにはこんな夏もいいだろう。来年は夫に乳呑み子を預けてぜひ半日だけでも夏フェスに行きたい。

乙女の夢は掴み取れ

妊娠の経過は概ね良好だが、予定が多くて疲れた。

 

仕事で大きな締め切りを目前に控えているため、休日返上になってしまい、プライベートの雑事を平日の夜に行わなければならない。授かり婚で結婚式を挙げられるカップルは、どちらかに時間的余裕があり、かつ、二人ともがセレモニーに対して前向きな場合だけだろう。共働き別居婚で「やれたらやる」程度のモチベーションのわたしたちにはとても無理だった。そしてまあ知ってはいたが、わたしはどう足掻いてもお姫様ではないんだなあと思った。や、でも確かシンデレラも自分で自分のドレスを縫ってたから(それは継母たちにズタズタにされてしまったけど)、お姫様だからと言って、必ずしも左団扇というわけではないのか。あー努力しないで何でも思い通りになってほしい。もしくは、ある程度やり遂げた未来にワープしたい。指先に火傷をこさえつつ、造花のブーケが出来上がってきた。

 

ところで、婚約指輪というものをもらっていないのだが、配偶者がそのことについて周囲からかなりのパッシングにあったそうな。

わたしとしては、プロポーズの前の段階で、誕生日などのプレゼントを伴うイベントごとに「パカッとするやつがほしい」と伝えてはきたのだが、やんわりスルーされてきたので、相手にその気がないのだなと理解していて、いざ妊娠、入籍の段階ではもういいやという気持ちになっていた。結婚10年のタイミングでホニャララダイヤモンド的なやつをおくれよと、そう伝えた。そもそも、入籍した日に結婚指輪と婚約指輪の違いを説明するところから始める始末であったので、「パカッと」程度のリクエストでは到底貰えるはずがなかったのだ。しかも、わたしがほんとうに欲しかったのは、ダイヤではなく将来の展望であり、妊娠とともにそれは手に入ったから、もう十分だ。石はこの際10年後でいい。

今のパートナーはいわゆる「女の子のご機嫌とり」のようなフレームワークに興味がなく、そのため、わたしがもし世間一般に「女性の夢」にカテゴライズされるような物事を欲したとしても、はっきり伝えなければ供給されることは滅多にない。結婚関連のイベントは女性の夢がてんこ盛りで、わたし自身も食あたり気味になるくらいだが、その一切について「これはほしい、これはいらない」と自ら判断しなければ、黙って口を開けていても腹は膨れない。それでも、欲しいものを我慢して諦める人生なんて絶対に嫌なので、出来るだけわがままを言うのだ。言うだけならタダだからな。そうやって、欲しいものを我慢しているうちに何が欲しいかもわからなくなってしまった娘時代の自分を癒している。それは同時に、欲しがるのが仕事である赤ん坊に際限なく与えなければならない、母親という職業になるための訓練だ。

いちおうフォローしておくと、パートナーはわたしが一番に必要としているものに関してはいつも惜しみなく与えてくれている。つまり、自由に好き勝手やることにいちいち口出ししないでいてくれるということだ。ありがたい限りである。果たして結婚とは、愛とは、絆とは……。そういった窮屈な問いについては、今のパートナーと追及するつもりは毛頭なく、ただ今この時を居心地よく過ごしていける関係でありたいと願っている。神にも何にも誓わずに。

 

ちなみに結婚指輪については同居を始めてから、一緒に買いに行く約束をしている。貝殻で作ったリングピローはもう準備できているからな。

やうつりくるひ

引っ越しをする。

 

わたしは引っ越しの多い人生を送っていて、30余年で10回引っ越しをしていて、さらに2回ほど数ヶ月単位のレオパレス暮らしをしている。根無し草だ。

よく、印象派の有名な画家の展覧会なんかでは年表が展示されているが、ニースに住んだりパリに住んだり、晩年は田舎で暮らしたり、勢い余ってタヒチに移住したり、転がる石のような一生を垣間見ては感心するやら呆れるやら溜め息をつくが、段々わたしもそれに近い状況になってきた。もちろん、わたしが死んだあとにそんな年表が人様の目に触れるようなことは万に一つも無いのだが。

 

引っ越しは楽しい。物件の間取り図を見ながら家具の配置を考え、買い足すものを吟味し、新しい暮らしを想像する。入居すれば、部屋の隅々を採寸し、手描きで展開図を作成し、カーテンや棚を書き入れる。インテリアプランナーを生業にはしなかったが、趣味としては上等だ。凝った間取りなんて必須ではない。平凡な間取りに家具を上手に並べることが肝要なのだ。子供の頃、レゴブロックで何十回、何百回と家を建て直した、その原体験の愉しみを体が覚えているから、何度でも引っ越しはわくわくする。

家族が増えるたびに要件の難易度は増していくが、それもまた新たな挑戦心をくすぐる。今度は、予測不可能な動きをし、所構わず汚しまくる小さい人が家族に加わる。はたして安全で機能的な部屋づくりはうまくいくだろうか。腕が鳴る。

安く楽しくやるちから

遅ればせながら、服薬を中止した。

矢先に頭痛が酷いので半錠だけ飲んだ。QOLが急降下である。集中力も下がっていて地味につらい。

 

さて、明日は独身最後の週末だ。とはいえ、引き続き実家に暮らし、仕事上の通称も変わらないので、今後もしばらくは特に何の変化もない。

両親には世話になったお礼をどこかのタイミングで告げようかと思うのだが、わたしには「嫁に行く」という意識がなく、今後も彼らの戦闘力は今まで以上にあてにしていこうと思っているので、一般的な結婚式での別れの挨拶的な感傷はなんか違う。むしろ、腹の子を育てるフェーズで両親の子育ての答え合わせをして、その都度礼をしていきたいと思っている。わたしがしてもらって嬉しかった事を腹の子にもしてやって、それを彼らに報告していきたい。

音楽や芸術に感動したり、自然の中で四季を感じたり、身体を思うように動かしてリフレッシュしたり、とびきり美味しいものを探求したり、本を読んで想像に耽ったり、そういうことの出来る子に育ててあげたい。

わたしも兄弟も勉強と人付き合い以外はわりと何でも出来、色んなことを比較的よく知っている人間で、一人の時間を持て余すことなく生きている。熱く語れる何かをもっていて、暇つぶしや寂しさを埋めるための消費行動をせずに済んでいる。それは遺伝的な性格によるものも多いのだろうが、両親の「安上がりに楽しむ能力」の高さを習得したところが大きいように思う。

 

お金が無くとも、お弁当を作ってピクニックや図書館に行けば一日中楽しい。虫を取るのも、花を摘むのもいい。取った虫を綺麗な箱に詰めて標本にしても、摘んだ花を煮詰めて染物をしてもいい。やりかたは図書館に行けばタダで知ることができる。

 

まあ、なんかそういう事が楽しいと思える家庭をつくることで、わたしなりに両親へ恩返ししていきたい。

祖母と愚痴

認知症の一歩手前にいる祖母の話を1時間くらい傾聴するのが休日のわたしの仕事だ。わたしがニートをやっている時期に、居場所を提供し、昼食も作ってくれた恩があるので、わたしにはこれをやる義理がある。

年寄りの話は同じネタの使い回しによって成り立っているが、アプリゲームのガチャのように、よく出るお馴染みの話と、レアな話がある。祖母の気紛れに任せて自由に話してもらい、こちらは「今日は☆4のレアがでた!」とかぼんやり思いながらそれなりに相槌を打っていれば、1時間くらいでひとしきり満足していただける。

ただし、これは孫だからこそできる感情労働で、実子にはきつい。実際、わたしが母親の話をただ黙って1時間聞いていられるかというと、想像しただけで頭痛がする。やはり途中で何か余計な意見をしたくなるし、親も何かわたしがムッとするようなことを言いたい衝動を抑えられないだろう。親子の会話は事務連絡が7割で十分である。

さらに、祖母はわたしの母にとってはそこそこの毒親実績があり、事実、一人の女として見ると割と性格が悪い。少なくとも、友達にはなりたくないタイプだし、同僚でも多少持て余すだろう。わたしとて人様に褒められるような性根は持ち合わせていないが、だからこそ、嫌な女は嫌なのだ。具体的にはどう嫌かというと、崇高な理想主義者でもなければ、現実的に質実剛健でもなく、都合の悪いことを他人のせいにして、立場の弱いものを心根で見下しながら寄りかかり、他人のために自分を犠牲にすることもないという、書いていて嫌になってくるような性格なのだ。孫には優しいのだが、孫に対して娘(わたしの母)の悪口をいうのは、まあまあアウトだと思う。

そんなこんなで、話のネタは、女学校時代は戦時中で勉強どころでなかった話、小姑に虐められた話、兄弟が若くして何人も死んだ話、夫が育児をしなかった愚痴、その夫が早逝して働かざるを得なくなった苦労話、金持ちへの妬み、息子(わたしの叔父)の離婚した元嫁の悪口など、負の感情を伴うものばかりである。なので、聞いている方はわりと気が滅入る。かといって、何十年もかけてこびりついたエピソード集なので、そこに新たにポジティブな意味を見出したりすることもないのであろう。彼女は不幸な自分が居心地よく、優しく慰めてもらう権利があると信じており、他人もそんな自分と同じ考えであると疑わない。

わたしは仕事が好きだ。仕事ができることに感謝している。しかし、仕事が嫌いで辛かった祖母からは「忙しくてかわいそうだ」と呪いをかけられる。

わたしは生後半年で保育園に預けられた。母は母乳が出なかったらしく、わたしも兄弟もミルク育ちだ。その頃の記憶はないが、わたしは家にいるより余所に出掛けるほうが何となく気楽だと漠然と感じていた。母が専業主婦になってからは幼稚園に通ったが、それは自分に課せられた義務だと思っていたので特に寂しさもなく、友達と遊ぶのは苦手だったが勉強やお稽古は好きだし得意だった。なので、わたしは自分の子供を乳飲児のうちに保育園に通わせることにさほど罪悪感も抵抗感もないのだが、祖母からかわいそうだと言われてしまった。かわいそうなのは誰なのか、わたしにはまだわからない。保育のプロからしっかりした生活リズムを身につけさせてもらえるなら、わたしがだらしなく育てるより何倍も子供本人にとっては良いことのような気もするし、わたしが好きな仕事を出来たほうが我慢して恨みつらみを溜め込むより周囲にとっても良いことのような気がする。そもそも、わたしの仕事は社会に有益で、必要であるからやっている。

子供はわたしが産むけれど、わたしは必要なものやことを与える以上でも以下でもない他人なのだ。妊娠するともっとパートナーにたいする親密さのような感情が胎児に対してドバドバと湧いてくるのかと思ったが、やはりまだ「すごく気になる腫瘍」程度の認識なのだ。

その段階で「かわいそう」という言葉の呪いをかけられても、戸惑いと不快さが半々でこみ上げるだけだ。

 

ただ、わたしは必要な仕事はきっちりやりたい派の人間なので、ここに愚痴を書き散らしながら孫業は続けるつもりである。傾聴は認知症の進行を遅らせるのだ。実家で世話になっている以上、わたしにも家族としての役割を果たす必要がある。今は両親には甘えて祖母に甘えさせるのがわたしの役割であり、半年後にはスムーズに夫に甘えて子供に甘えさせるためのトレーニングでもある。各々が自分の役割を果たし、安定した居場所があることが、わたしの理想の家庭だ。誰かを仲間はずれにしたり、自分の役割を誰かに押し付ける人がいたりするような家庭は嫌だなと思う。そしてそれは職場でもどこでも同じことだ。

 

で、こういうふうにクソ真面目に色々考える自分はとても好きだ。

春ですね

白樺の若葉がかすかに黄緑がかってきた。やっと春だ。

 

腹の中の人は順調にかさを増し、私の内臓を押しのけて幅をきかせている。

お腹がミチミチになっただけ、心がスカスカになってゆく。あんなに好きだった仕事もゲームも凧糸一本で辛うじて繋がっているような覚束なさだ。

30年以上かけてわたしになったわたしが、数ヶ月の命に淘汰されようとしている。わたしの発する言葉も今は中の人に関することばかり。家族の視線もわたしを通して、新しい仲間の方を見ている。

 

カビが目に沁みるチーズに、震えるほど辛いカレー、脳が痺れるマティーニを捨てさせられてから早3ヶ月。わたしを外側から形作る石膏の塗り物が削り取られてゆく。

薄皮のわたしの中で春が芽吹く。