サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

乙女の夢は掴み取れ

妊娠の経過は概ね良好だが、予定が多くて疲れた。

 

仕事で大きな締め切りを目前に控えているため、休日返上になってしまい、プライベートの雑事を平日の夜に行わなければならない。授かり婚で結婚式を挙げられるカップルは、どちらかに時間的余裕があり、かつ、二人ともがセレモニーに対して前向きな場合だけだろう。共働き別居婚で「やれたらやる」程度のモチベーションのわたしたちにはとても無理だった。そしてまあ知ってはいたが、わたしはどう足掻いてもお姫様ではないんだなあと思った。や、でも確かシンデレラも自分で自分のドレスを縫ってたから(それは継母たちにズタズタにされてしまったけど)、お姫様だからと言って、必ずしも左団扇というわけではないのか。あー努力しないで何でも思い通りになってほしい。もしくは、ある程度やり遂げた未来にワープしたい。指先に火傷をこさえつつ、造花のブーケが出来上がってきた。

 

ところで、婚約指輪というものをもらっていないのだが、配偶者がそのことについて周囲からかなりのパッシングにあったそうな。

わたしとしては、プロポーズの前の段階で、誕生日などのプレゼントを伴うイベントごとに「パカッとするやつがほしい」と伝えてはきたのだが、やんわりスルーされてきたので、相手にその気がないのだなと理解していて、いざ妊娠、入籍の段階ではもういいやという気持ちになっていた。結婚10年のタイミングでホニャララダイヤモンド的なやつをおくれよと、そう伝えた。そもそも、入籍した日に結婚指輪と婚約指輪の違いを説明するところから始める始末であったので、「パカッと」程度のリクエストでは到底貰えるはずがなかったのだ。しかも、わたしがほんとうに欲しかったのは、ダイヤではなく将来の展望であり、妊娠とともにそれは手に入ったから、もう十分だ。石はこの際10年後でいい。

今のパートナーはいわゆる「女の子のご機嫌とり」のようなフレームワークに興味がなく、そのため、わたしがもし世間一般に「女性の夢」にカテゴライズされるような物事を欲したとしても、はっきり伝えなければ供給されることは滅多にない。結婚関連のイベントは女性の夢がてんこ盛りで、わたし自身も食あたり気味になるくらいだが、その一切について「これはほしい、これはいらない」と自ら判断しなければ、黙って口を開けていても腹は膨れない。それでも、欲しいものを我慢して諦める人生なんて絶対に嫌なので、出来るだけわがままを言うのだ。言うだけならタダだからな。そうやって、欲しいものを我慢しているうちに何が欲しいかもわからなくなってしまった娘時代の自分を癒している。それは同時に、欲しがるのが仕事である赤ん坊に際限なく与えなければならない、母親という職業になるための訓練だ。

いちおうフォローしておくと、パートナーはわたしが一番に必要としているものに関してはいつも惜しみなく与えてくれている。つまり、自由に好き勝手やることにいちいち口出ししないでいてくれるということだ。ありがたい限りである。果たして結婚とは、愛とは、絆とは……。そういった窮屈な問いについては、今のパートナーと追及するつもりは毛頭なく、ただ今この時を居心地よく過ごしていける関係でありたいと願っている。神にも何にも誓わずに。

 

ちなみに結婚指輪については同居を始めてから、一緒に買いに行く約束をしている。貝殻で作ったリングピローはもう準備できているからな。

やうつりくるひ

引っ越しをする。

 

わたしは引っ越しの多い人生を送っていて、30余年で10回引っ越しをしていて、さらに2回ほど数ヶ月単位のレオパレス暮らしをしている。根無し草だ。

よく、印象派の有名な画家の展覧会なんかでは年表が展示されているが、ニースに住んだりパリに住んだり、晩年は田舎で暮らしたり、勢い余ってタヒチに移住したり、転がる石のような一生を垣間見ては感心するやら呆れるやら溜め息をつくが、段々わたしもそれに近い状況になってきた。もちろん、わたしが死んだあとにそんな年表が人様の目に触れるようなことは万に一つも無いのだが。

 

引っ越しは楽しい。物件の間取り図を見ながら家具の配置を考え、買い足すものを吟味し、新しい暮らしを想像する。入居すれば、部屋の隅々を採寸し、手描きで展開図を作成し、カーテンや棚を書き入れる。インテリアプランナーを生業にはしなかったが、趣味としては上等だ。凝った間取りなんて必須ではない。平凡な間取りに家具を上手に並べることが肝要なのだ。子供の頃、レゴブロックで何十回、何百回と家を建て直した、その原体験の愉しみを体が覚えているから、何度でも引っ越しはわくわくする。

家族が増えるたびに要件の難易度は増していくが、それもまた新たな挑戦心をくすぐる。今度は、予測不可能な動きをし、所構わず汚しまくる小さい人が家族に加わる。はたして安全で機能的な部屋づくりはうまくいくだろうか。腕が鳴る。

安く楽しくやるちから

遅ればせながら、服薬を中止した。

矢先に頭痛が酷いので半錠だけ飲んだ。QOLが急降下である。集中力も下がっていて地味につらい。

 

さて、明日は独身最後の週末だ。とはいえ、引き続き実家に暮らし、仕事上の通称も変わらないので、今後もしばらくは特に何の変化もない。

両親には世話になったお礼をどこかのタイミングで告げようかと思うのだが、わたしには「嫁に行く」という意識がなく、今後も彼らの戦闘力は今まで以上にあてにしていこうと思っているので、一般的な結婚式での別れの挨拶的な感傷はなんか違う。むしろ、腹の子を育てるフェーズで両親の子育ての答え合わせをして、その都度礼をしていきたいと思っている。わたしがしてもらって嬉しかった事を腹の子にもしてやって、それを彼らに報告していきたい。

音楽や芸術に感動したり、自然の中で四季を感じたり、身体を思うように動かしてリフレッシュしたり、とびきり美味しいものを探求したり、本を読んで想像に耽ったり、そういうことの出来る子に育ててあげたい。

わたしも兄弟も勉強と人付き合い以外はわりと何でも出来、色んなことを比較的よく知っている人間で、一人の時間を持て余すことなく生きている。熱く語れる何かをもっていて、暇つぶしや寂しさを埋めるための消費行動をせずに済んでいる。それは遺伝的な性格によるものも多いのだろうが、両親の「安上がりに楽しむ能力」の高さを習得したところが大きいように思う。

 

お金が無くとも、お弁当を作ってピクニックや図書館に行けば一日中楽しい。虫を取るのも、花を摘むのもいい。取った虫を綺麗な箱に詰めて標本にしても、摘んだ花を煮詰めて染物をしてもいい。やりかたは図書館に行けばタダで知ることができる。

 

まあ、なんかそういう事が楽しいと思える家庭をつくることで、わたしなりに両親へ恩返ししていきたい。

祖母と愚痴

認知症の一歩手前にいる祖母の話を1時間くらい傾聴するのが休日のわたしの仕事だ。わたしがニートをやっている時期に、居場所を提供し、昼食も作ってくれた恩があるので、わたしにはこれをやる義理がある。

年寄りの話は同じネタの使い回しによって成り立っているが、アプリゲームのガチャのように、よく出るお馴染みの話と、レアな話がある。祖母の気紛れに任せて自由に話してもらい、こちらは「今日は☆4のレアがでた!」とかぼんやり思いながらそれなりに相槌を打っていれば、1時間くらいでひとしきり満足していただける。

ただし、これは孫だからこそできる感情労働で、実子にはきつい。実際、わたしが母親の話をただ黙って1時間聞いていられるかというと、想像しただけで頭痛がする。やはり途中で何か余計な意見をしたくなるし、親も何かわたしがムッとするようなことを言いたい衝動を抑えられないだろう。親子の会話は事務連絡が7割で十分である。

さらに、祖母はわたしの母にとってはそこそこの毒親実績があり、事実、一人の女として見ると割と性格が悪い。少なくとも、友達にはなりたくないタイプだし、同僚でも多少持て余すだろう。わたしとて人様に褒められるような性根は持ち合わせていないが、だからこそ、嫌な女は嫌なのだ。具体的にはどう嫌かというと、崇高な理想主義者でもなければ、現実的に質実剛健でもなく、都合の悪いことを他人のせいにして、立場の弱いものを心根で見下しながら寄りかかり、他人のために自分を犠牲にすることもないという、書いていて嫌になってくるような性格なのだ。孫には優しいのだが、孫に対して娘(わたしの母)の悪口をいうのは、まあまあアウトだと思う。

そんなこんなで、話のネタは、女学校時代は戦時中で勉強どころでなかった話、小姑に虐められた話、兄弟が若くして何人も死んだ話、夫が育児をしなかった愚痴、その夫が早逝して働かざるを得なくなった苦労話、金持ちへの妬み、息子(わたしの叔父)の離婚した元嫁の悪口など、負の感情を伴うものばかりである。なので、聞いている方はわりと気が滅入る。かといって、何十年もかけてこびりついたエピソード集なので、そこに新たにポジティブな意味を見出したりすることもないのであろう。彼女は不幸な自分が居心地よく、優しく慰めてもらう権利があると信じており、他人もそんな自分と同じ考えであると疑わない。

わたしは仕事が好きだ。仕事ができることに感謝している。しかし、仕事が嫌いで辛かった祖母からは「忙しくてかわいそうだ」と呪いをかけられる。

わたしは生後半年で保育園に預けられた。母は母乳が出なかったらしく、わたしも兄弟もミルク育ちだ。その頃の記憶はないが、わたしは家にいるより余所に出掛けるほうが何となく気楽だと漠然と感じていた。母が専業主婦になってからは幼稚園に通ったが、それは自分に課せられた義務だと思っていたので特に寂しさもなく、友達と遊ぶのは苦手だったが勉強やお稽古は好きだし得意だった。なので、わたしは自分の子供を乳飲児のうちに保育園に通わせることにさほど罪悪感も抵抗感もないのだが、祖母からかわいそうだと言われてしまった。かわいそうなのは誰なのか、わたしにはまだわからない。保育のプロからしっかりした生活リズムを身につけさせてもらえるなら、わたしがだらしなく育てるより何倍も子供本人にとっては良いことのような気もするし、わたしが好きな仕事を出来たほうが我慢して恨みつらみを溜め込むより周囲にとっても良いことのような気がする。そもそも、わたしの仕事は社会に有益で、必要であるからやっている。

子供はわたしが産むけれど、わたしは必要なものやことを与える以上でも以下でもない他人なのだ。妊娠するともっとパートナーにたいする親密さのような感情が胎児に対してドバドバと湧いてくるのかと思ったが、やはりまだ「すごく気になる腫瘍」程度の認識なのだ。

その段階で「かわいそう」という言葉の呪いをかけられても、戸惑いと不快さが半々でこみ上げるだけだ。

 

ただ、わたしは必要な仕事はきっちりやりたい派の人間なので、ここに愚痴を書き散らしながら孫業は続けるつもりである。傾聴は認知症の進行を遅らせるのだ。実家で世話になっている以上、わたしにも家族としての役割を果たす必要がある。今は両親には甘えて祖母に甘えさせるのがわたしの役割であり、半年後にはスムーズに夫に甘えて子供に甘えさせるためのトレーニングでもある。各々が自分の役割を果たし、安定した居場所があることが、わたしの理想の家庭だ。誰かを仲間はずれにしたり、自分の役割を誰かに押し付ける人がいたりするような家庭は嫌だなと思う。そしてそれは職場でもどこでも同じことだ。

 

で、こういうふうにクソ真面目に色々考える自分はとても好きだ。

春ですね

白樺の若葉がかすかに黄緑がかってきた。やっと春だ。

 

腹の中の人は順調にかさを増し、私の内臓を押しのけて幅をきかせている。

お腹がミチミチになっただけ、心がスカスカになってゆく。あんなに好きだった仕事もゲームも凧糸一本で辛うじて繋がっているような覚束なさだ。

30年以上かけてわたしになったわたしが、数ヶ月の命に淘汰されようとしている。わたしの発する言葉も今は中の人に関することばかり。家族の視線もわたしを通して、新しい仲間の方を見ている。

 

カビが目に沁みるチーズに、震えるほど辛いカレー、脳が痺れるマティーニを捨てさせられてから早3ヶ月。わたしを外側から形作る石膏の塗り物が削り取られてゆく。

薄皮のわたしの中で春が芽吹く。

オッスオラAC

毒親育ちは幸せになれないからかわいそう。

誰がどういう立場で言っているのかはわからないが、はてなでは最近よく見かけるように思う。

しかし、少なくともわたしの周囲の毒親育ち(を自認する)娘たちは、自分の人生をより良くするために30を過ぎても60を過ぎても、自分の心と向き合いながら必死で生きている。他人が簡単に不幸のレッテルを貼ってよいものではない。

かくいうわたしも、多少ながら機能が不全な家族の中で、きっての問題児として兄弟間差別を受けながらすくすくと自己肯定感を潰し、認知を歪ませながら育ったアダルトなチルドレンの一人だ。今でも対人関係に回避的で、身近な人に頼るのが苦手だったり、ちょいちょい不適応を起こしながらも、自閉傾向の症状を武器に面白さと創造性とまぬけでお人好し的な性質でなんとか霞を食って生きている。以前はけっこう嫌な奴だったのだが、まあ色々とうまくいかないなんやかんやを経て自分に対するある種の諦めというか手放しをしてから、自他に対する「かくあるべき」が薄れたように思う。

必然、普通とか常識とかはどこかに置き忘れて久しい。精神疾患の薬を飲みながら長期出張中に未婚で妊娠なんて、どこからどう見ても非難の対象にしかならないだろう。

まず、服薬中に長期出張に行くなってところから始まり、服薬中に妊娠するなって話だし、妊娠した経緯も「そんなに簡単にはできないだろう」という甘い見通しであった。

 

しかしその実、様々な裏付けや事情がある。まず、わたしの仕事が比較的高収入の資格職で、一馬力でも子供1人なら何とか大学までは通わせられる見通しがあること、実家に経済的余裕があり要介護者も現在はいないこと、兄弟も自閉傾向ながら特性を活かし安定した職に就いていてお互いの関係も良好であること。これらに加え、腹の子の父は身体が丈夫で、職業能力が比較的高く、高収入ではないが定年後も続けて働ける技能を持っている。つまり、金は何とかなるのだ。

また、子を急ぐ事情としては、子の父とは年に数度しか会えない状況であったこと、わたしの年齢が出産に適した時期を超えそうであったこと、子が出来でもしない限り仕事一辺倒のライフスタイルに終わりが見えなかったことがある。

ただ、これらを並べたとしたところでわたしを親になるにふさわしくない人間と切り捨てる他人は大勢いるだろう。

それでも、子の父も実家の家族も親友もわたしの状況を心配しながらも祝福してくれている。

 

ただおそらく、わたしは将来腹の中の子に「産んで欲しいなんて頼んでない」とか「こんな家に産まれて来たくなかった」とか言われる親になるだろう。正確にいうと、そういうことを親に直接言うタイプの子供を産み育てるだろう。わたしも子の父も、性格が荒っぽく、目上の者にズバズバ切り込んでゆく性分なのだ。どちらに似てもアウトだ。

まあわたしはきっと「そんなに嫌なら出て行け!」と言うタイプの母親になるだろう。立派なネグレクトである。

しかし、そういう状況にあっても、人は、とりわけ若い時分はなんとか周りに頼って生き延びるものだ。そこで傷ついたり失敗したり親に言えないような出来事があったとしても、乗り越えてゆく強さをもっているのが人間だ。少なくともわたしの半径5mほどにいる人たちはそういう人たちだ。

だからわたしにできることは、わたし自身が周囲の人に頼る姿を子に見せてゆくことだと思っている。

わたしの4歳ごろの記憶に、兄と二人で近所のおばさんの家でおやつを食べさせてもらっている光景がある。そこに母親の姿はない。逆に、わたしが不在の我が家に近所の子供がいたりもした。80年代の地方都市のことである。

きっと、わたしの両親が二人だけで孤独に子育てをしていたら、わたしは再起不能の不適応で、今も実家に引きこもっていただろう。また、モラハラ男に依存して心を殺しながら息だけしていたかもしれない。しかし、今はそうではない。それは、祖母と叔母との同居生活や、近所とのゆるい出入りが幼少時のわたしの心の抜け穴となり、いつも新しい風が吹き込み、根腐れを防いでいてくれたからだと思っている。親には恨みもわんさかあるが、同時に、ある程度適当にしてくれてありがとうという感謝もある。

 

子自身が思春期以降に決意して親に立ち向かうことが必要な場合はあるが、外野が孤独な親を責めるのは意味がないどころか害悪である。まして、親になる資格を付与したり剥奪することが誰に出来ようか。

親自身が立派でなくとも、周りに親切な大人が数人いれば、そこそこなんとか子の心は生き延びられる。わたしは自分が将来、我が子に毒親と呼ばれることは甘んじて受け入れる覚悟があるが、外野からの批判に耳を傾けるつもりはない。うるせえ!だったらなんかよこせ!と言うだけだ。

毒親育ちは序盤かなりハードモードだけど、今のわたしにはちょうどいい難易度だ。必ず乗り越える力をもっていると信じてくれる人間が周りにいるだけで、自分では信じられないようなことだって出来るのだ。周りに毒親育ちで苦しむ人がいたら、どうか、憐れむより、励まし勇気付けてあげてほしい。

下等生物つらい

つわり的なものが進行中で、温かいものが全く食べられなくなった。

サンドイッチとおろしぶっかけうどんを主食に、つまみ昆布とコンビニに売ってる100円でいっぱい入ってるスティックパンを食べて凌いでいる。

とにかく空腹を感じると二日酔いの朝モードになる。なお二日酔いに関しては一家言あるわたしであるが、明けの朝はとにかく水分をとり、なにか固形の炭水化物を腹に詰め込むに限る。大抵は蒸しパンだ。あれは良いものだ。

ただ、現在は甘い香り耐性が著しく低下しており、結果あのパサパサして香りも口当たりもクソもないスティックに落ち着いた。サイズも小腹に丁度よい。チョコチップが入ってるやつだと味が整い食べやすくなお良い。夕方になると自席でもそもそとスティックを貪る姿が周囲にはどの様に映っているのか些か気になるところではあるが、そんなことも言っていられないエマージェンシーが現在の状況だ。

昨日見てきたあのチカチカした小さい塊が、こうも大の大人のMPをゴリゴリ削って来るとは恐れ入った。わたしはこの手の「耐えて去るのを待つ」系タスクが大嫌いだ。積極的に何かやれば早く終わる世界が好きだ。あなたお母さんになるための試練なのよ、とかお花畑みたいな理屈で諭されそうだが、そういうのはべつにわたしはいらないから、なんか「絶対気持ち悪くならない匂いのついたマスク」とか、「絶対気持ち悪くならない超さっぱりした味の食べ物」とか誰か開発して売ってください。だいたい、全ての人類がこんな体調不良の犠牲のもと産まれてくるとか、まじ胎生なんて欠陥だらけじゃねえか。哺乳類、下等生物すぎるだろふざけんな!ナメック星人みたいに、口からタマゴ産んだらすぐ孵化していきなりイメージどおりのメッチャ強いやつ出てくるとかだったらいいのになあ。

大変な思いをしたほうが愛情がわくなんてのはただのサンク・コスト効果に過ぎないような気がする。なるべく楽に楽しむ方向性でやりたいです。現に仕事はその理念に基づいて一定の成功をおさめているので、なんかうまい方法を模索していきたい。あー、腋の下とかからいきなりしゃべる唯我独尊なガキが産まれてきたら楽でいいな。や、ある意味面倒くさいか。