暮らす力がありあまる
故あってレオパレスに4ヶ月暮らすことになった。只今、3週目。
レオパレスは4年ぶり2度目なのだが、前回は短期間ということもあり、かなりミニマルな暮らしをしていた。まず調理はしない前提で道具を持って行かなかった。DVDプレイヤーやお気に入りの装飾品もいっさい持たず、ほぼ洋服と洗面用具のみをダンボール2箱に詰め、極めて身軽な生活を送った。
その結果何が起こったかというと、激しく苦しいホームシックである。
やはり、食と住を蔑ろにしては、人間らしい生活はできないのだ。
前回の反省を生かし、沢山のダンボールにぎゅうぎゅう詰め込んだ名画の絵ハガキコレクション、猫のぬいぐるみ、羽毛のクッション、ラッセルホブスの電気ケトル、マリクレールのホーロー鍋、しゃべるロボット掃除機、PerfumeのライブDVD、無印良品のアロマディフューザー。それらが無くてもわたしは息をして脈をうって生きていけるけど、屋根と壁があればそれを家と呼ぶならば、わたしの仕事も生活もどんなに味気ないものになってしまうだろう。医者の不養生とはいうけれど、ものづくりをする人間が自分の身の回りのものに無頓着ではつまらない。
配線を隠すためのモールを壁に貼りながら、フローリングの廊下にタイルカーペットを敷きながら、そんなことを考えた。
ピカソの大きな顔、シャガールのパリの花嫁、モネのバラ色のボート、東山魁夷の白い馬、ダリの焼いたベーコン、あと3ヶ月半よろしくね。
雨が降ったら寝てしまう
土砂降りの幕を下ろして、夏はおもむろに終演をむかえた。カーテンコールも無しに。
これから一枚ずつ身に纏う布を増やしながら、雪が降るまでの時期を縮こまって過ごすのがこの街での作法だ。おびただしいほどの収穫物を欲望のまま貪り、脂肪をたっぷり蓄えるのも忘れてはならない。
キリギリスの声が呼んだ雨が降るたび空の色も街の装いも黄味を増し、今年の夏は何したっけか?なんて隣人と話しながら出来なかった色々に溜め息をつく。
キャンプも釣りも線香花火も、まだまだ足りない。宿題も絵日記も自由研究も終わらないまま大人になってしまった。
目をつぶったら、雨の音が全部かき消してくれる。今日はもう寝てしまおう。
明日目を覚ませば正しい自分になっている可能性だって、ゼロじゃない。
年に一度のお楽しみ
年に一度、3日間だけ、最高の贅沢をする。
野外フェスに行くのだ。
経済的にも精神的にも大人の女友達と連れだって、思い思いに音楽とキャンプとお酒を楽しむ。
暑くなれば木陰で休み、雨が降ればカッパをかぶる。雲の流れや星の瞬きを見上げ、虫たちの声に耳をすます。
美味しいご飯をお腹いっぱい食べ、足が棒になるまで歩き、腕がちぎれるほど手を振り、声が枯れるまで歓声を上げる。
ここでは何一つ我慢しなくていい。
太陽と月が追いかけっこをしながら、夢の様な時間が流れる。
パンクのスターは愛と平和を語り、ファンクの職人は命のこもった1音を鳴らし、テクノのDJは人を踊らす魔法をつかい、ポップのアイドルは狂信者を増やす。わたしたちはただ彼らの言葉に感動し、ハーモニーに涙を流し、ビートに身を委ね、魅力に溺れていればよい。
ただの生き物になるだけだ。
音楽のない人生を牛肉なしのスキヤキに例えたちょっと怖そうなおじさんがいたけれど、豚肉や鶏肉のスキヤキだってそりゃああるさ。
でも、わたしはどちらかといえば、年に一度、こってこてに霜が降った牛すきが食べたいのさ。出来れば辛口のお酒と一緒にね。
いやな事件は見たくない
いやな事件がテレビを賑わせ、色んな人が色んなことを言っている。
わたしは弱い人を踏み台にして生きていることに多少の罪悪感を持っている。いやな仕事を他人に押しつけて見ないふりをすることだってあるし、好きな仕事だけをして楽して生きている申し訳なさを感じることもしばしばある。強者の罪悪感だ。
一方、精神疾患にかかりやすく、同年代の平均よりは多く健康保険のお世話になっている。いつ働けなくなるかわからない不安を抱える弱者でもある。
わたしは被害者にもなるし、加害者にもなりうる。ハリネズミのジレンマを抱えながら、恐る恐る人と関わっている。ごく親しい人以外とは相手の性格や生活背景などに配慮し、共感ベースのやりとりを心掛けている。相手ありきだ。どうしても共感できない人からは、へんに好かれないようにしながらそっと離れる。それができるように、わたしは様々なしがらみから身軽である必要がある。それは身分の不安定さとトレードオフだ。
つまり安全な場所から、一人ひとり違う他人にむけて、特定の立場で何かを言う資格がない。
テレビもネットも新聞も今は見たくない。
わたしは刺されないように強く生き、刺してしまわないように優しくありたい。自由でありたい。そうじゃない人の責任は取れない。
それだけなんだよ。
健康になるスパイラル
ポケモンでGOしてます。
職場が某観光地の目と鼻の先でして、昼休みは狩りに出かけ、木陰のベンチでランチです。それから徘徊、ポケモンゲット。
ゲームに飽きるまでの間にガシガシ歩いて、体力つけねば。きっかけは何でもいいから、身体を動かすのじゃ。色々の不調の原因は、長時間労働→運動不足→体調不良→能率低下→長時間労働のデススパイラル。
仕事はテキトーにして、ゲームするために早く帰る→いっぱい歩いてポケモン捕まえる→身体が疲れる→風呂入って寝る→早起きしてエクストリーム出社(ポケモン)→仕事はテキトーにして早く帰るという、健康スパイラルに入りつつある。活動的になれば何かのついでに掃除とか買い物とかも出来るし、汗をかけば洗濯物もためない。ゲームに夢中になれば間食も減る。
ゲームの開発理念の柱に健康増進があるのは間違いない。頭が良くて志が高い、本物の天才たちがチームになって開発したのだろうなあ。すごいなあ。
色々と問題を指摘するのは簡単だけれど、拡張現実は既に時代の大きな渦であり、ポイントオブノーリターンはとうに超えている。早くこの流れに乗り、マインドセットを未来に向けた者が幸せを掴める。
要は戦国時代が始まっている。中世のような力の時代でも、近代のような富の時代でもない。情報の戦国時代だ。優しく善い心と正しい行い、勇気と知恵によって人気を稼ぐ戦いがはじまるのだ。それは裏を返せば正しくない者がリンチに遭う息苦しい時代でもあるが、やがてリンチをした人間自身が己の評判を落としてしまうサバイバルでもある。
人類全体が賢く上品な生き物に進化しているのかもしれない。間抜けな正直者にとってこの流れは非常にたすかるが、混沌の時代を自分が生きることになろうとは、全然想像してなかったな。歴史を紐解けば、平和と混沌が交互にやってくるのはごくごく当たり前のことなんだけれどもね。諸行無常であるなあ。