サロン・ド銀舎利

言えぬなら記してしまえとりあえず

だったら何か下さいよ

おまえは常に下から目線で弱いから経営者にはなれない。経営者はもっと自信に満ち溢れて上から目線な人間がなるものだ。そういう強さがなければ仕事はもらえないだろうから、サラリーマンを続けた方がいい。
という主旨のことを、ベテランサラリーマンにごくやんわりと言われた。

わたしは、不自由なサラリーマンでいるのが辛くて逃げ出したいから、自分で事業をやるしか道はないんだ。その希望を捨て、ただ我慢して残りの人生の過ごすくらいなら今すぐ死んだ方がましだ。霞を食って生きていけるなら話は別だけど。
という主旨の反論をしたら、分かり合えないということを分かってくれた。

望む望まざるに関わらず沢山の物を持って生まれた人は、失う怖さに打ち震える。何も持たずに旅に出ようとする愚か者に対し、多くの装備や強い仲間がないなら旅に出ない方がよいと、的確な助言をくれたのだ。

それに引き換え、わたしは目に見える物はほとんど持たず、丈夫な体と地図を一枚渡されて生まれた。側から見れば質素な持ち物かもしれないが、ここに来るまでにずいぶんと沢山のガラクタを得たり失ったりしてきたのだ。立ち止まれば、ただ野たれ死ぬ世界で。

あなたが飢えていれば、何か温かい食事を用意すると言ってくれる酔狂な人間も数人いる。わたしはその数人にしか食事を乞わない。
何故なら、この世は飢えている人間に毒入りの食べ物を差し出す人間がほとんどだからだ。

わたしを縛り付けようとすることを言う人は、自分自身が沢山のしがらみに縛られて身動きがとれないのだ。しかし、縛られていても手の届く範囲に沢山のものを持った人間が、何も持たない人間を縛り付けようとするのは自覚なき暴力だ。いかにわたしが何も持っておらず、うろうろしなければ何も得られず野たれ死ぬ状況であるか、根気強く説明する他ない。

多くを持ったおっさんが何も持たない年下の女に的確なアドバイスをできるようなことはほとんどないぜってこった。せいぜい金か知識かノウハウをくれ。今まで、見返りを求めずにそれらをくれたおっさんは3人だけだった。そして3人とも、経営に失敗した経験を持つおっさんだった。失敗して一度は多くの物を失っても、自分の大切な宝物を他人に気前よく差し出す心意気は、この世でも類稀なる美しいものではないか。

事業に成功しても幸せ、失敗しても気前のいいおばさんになれるなら幸せ、だったらやってみた方がいいに決まっている。

そんな説明、受けてない!

鼻の穴の奥が狭いなんて聞いてない。生まれた時にそんな説明なかったぞ!

張り切って朝一で消化器の検査を予約したオイラ。有給も申請し、昨日のうちに休む段取りも万端。いったい何の病気が待ち受けているんだろう?ワクワクすっぞ!
というわけで、いつも通りギリギリまで二度寝三度寝を繰り返し、限りなくノーメイクに近い化粧をし、持ってる洋服の中で一番ゆったりしたものを着て近所の胃腸科へ。診察開始前だったので職員の談笑が聞こえてきた。程なくして一番に呼ばれ検査室へ。
意気揚々と入ったものの、鼻に入れる麻酔を誤嚥して盛大にむせるという鈍臭さを発揮し看護師を困惑させるところから雲行きが怪しくなり、わたしの不安は膨らんでいった。
いやだって、鼻から入った液体の処理とか、普段しないじゃないですかあ。しょうがないよ!わたし精神疾患ある人だからしょうがないよ!初めてのことだもん、しょうがないよ!ドンマイドンマイ☆という諦めと言い訳で自分を励ました。看護師さんは早く次の工程に行きたそうにしてたので、空気読んでがんばりました。

胃カメラの前にお腹にエコーをコロコロ。ほらー!なんか写ってるー!!ぜったいなんか写ってる!
うわぁぜったいなんか写ってると思いつつ、頭の位置を移しメインイベントの胃カメラへ。もう、アドレナリンがドバドバで不安感は最高潮ですよ。麻酔が不味いのがじわじわダメージを与えてくる。わたしは脳がアンバランスなため、味覚と嗅覚が比較的過敏にできているのだ。生まれる時にはそんな説明なかったけど。

カメラの先が差し込まれ、鼻の奥で逡巡した後、一度引き抜かれ、信じられない事態に。「鼻の奥が狭くて、鼻血が出るかもしれないので口にしますね〜」

何ということでしょう。鼻は楽だということだからここの病院にかかったのに。あんなにむせながら鼻麻酔したのに。全ての段取りが水の泡である。
わたしの普段の仕事はあらゆる可能性に備えて段取りする類のものなので、経験を積むに連れ年々、想定外のことはあまり起こらないようになってきた。知らず知らずのうちに、自分の中の「びっくり耐性」が弱くなっていたように思う。

そして、何の心の準備もないままマウスピースをねじ込まれカメラは口の中へ。
もう、釣り上げられた魚のように全身が跳ね上がりましたよ。どんな感じかというと、口からカメラを入れられてる感じって、そのままなんですけど、ほんとこれ麻酔効いてるのかってくらい、異物感。足なんかバタバタして息は止まるわ、涙は出るわ、ほんといつも魚釣りなんかやってる罰が当たったみたい。魚ほんとごめん。釣りはやめないけどね!
看護師さんは「鼻で吸って口で吐け」とか高度な指示をするのだが、こっちは口の意識でメモリ使い過ぎて鼻に呼吸しろと指示を出そうとしてもフリーズして動かないんですよ。その状況を観察する意識なんてわりと冷静なのに。ああ、これが動作性IQの低さなのか、つらい。
検査後、涎と涙でベチョベチョになり、限りなくノーメイクに近いすっぴんとなってしまったわたしに、看護師さんたちは気の毒そうに丁重に介助してくれた。なんというか、わたしは比較的ヘタな部類の患者だったのかもしれない。恥ずかしい!
それにしてもこれだけ苦しそうな人間を相手に粛々と検査しなきゃならんのだから医療従事者は本当にストレス耐性が求められるよなあ。

検査結果を元に診察を受けたところ、やはりエコーでなんか写っていた。「石かも?でも炎症ないから様子見ましょう」とのことであった。
よもや、子を宿す前に石を宿す人生になるとは、生まれた時にそんな説明はなかった。それにしても、神経が過敏になっているところにこいつがコロコロしていてなんとなく痛かったんだな、きっと。
あれだけ苦労した胃カメラの方は多少のポリープと炎症の後はあるものの、深刻な何とかは無いとのこと。一先ず安心である。最後にピロリ菌の呼気検査を受け、しめて本日のお会計7000円!まあ、ディズニーランドくらいは楽しめたので元は取ったな。

今日は休みを取ってよかった。
こんな気持ちのままじゃ、どこへもいけやしない〜。と、ユーミンは歌ったが、わたしはこんな気持ちをとにかく癒すためにサンドイッチを買って公園で池とかボートとか鴨を眺めながらこれを書いている。
そしたらカラスの奴、わしのサンドイッチを狙っている。トホホ〜〜!!

説明書の添付されていないアップルデバイスのように何の説明もないまま30年以上この体を使っているけど、ようやくクセがわかってきた。色々と機能の偏った不良品ではあるけれど、結構気に入って使っているよ。

あんなところに入れちゃうの

鼻に入れます内視鏡

なんだかずっとみぞおちが痛いような気のせいのようなで放置すること4ヶ月。や、脳がおかしいからそのせいで痛いように錯覚してるのかなとか思うわけですよ。仮に、病院に行ったとします。色々検査するも所見が出ず、誰も疑ってないのになぜか仮病じゃないことを唾飛ばしながら力説して途方に暮れるシーンまで一通り想像しちゃうよね。筋金入りのネガティヴシンキングとしては。また、我慢しようと思えば我慢できる程度の痛みなのさね。そんなこんなでまあ、するよね、放置。

ブラックコーヒー、ガブガブ飲んでた。ビール、ゴクゴク。激辛スープカレーにこってり背脂ラーメン。夜中にポップコーンポリポリ、コーラシュワシュワ。聞こえてくるのは胃腸の悲鳴。

脳の異常が比較的回復し、段々と元の不摂生スタイルになってきた矢先。平日にビールを2杯だけ飲んだ次の日、お腹が痛くて、わたしは会社を休みました。
頭が治ってきた割にはやっぱり痛い!気のせいじゃなかった!痛いと思い始めたらなお痛い!

ついに観念して心療内科の先生に相談したところ、消化器科へ行ってみよと。そりゃそうだ。もちろん、症状の説明に加え、4ヶ月間も放置した言い訳を一から十まで唾飛ばして力説しました。聞かれてないのに。

まあ、いろいろ調べるわけですインターネットで。そしたらもう縮み上がるような病名が出て来るわ来るわ。怖い!
何が怖いって、入院、手術とかになったらみんなお見舞いとかに来るじゃないですかあ。そしたら、病人みたいに扱われて、わたしはサービス精神の塊みたいな女なので健気な病人を演じるわけじゃないですか。そして、見舞いの人間が帰った後の夜中、病室で隣のおばあさんのいびきの音に目を覚ましたわたしは考え込むんですよ。わたしに張り付いた病人のラベルを今すぐ剥がして自由になりたいけど、それは誰にもできない。ああなんて不自由なんだろう。なんて不幸なんだろう。到底受け入れることなんて、できっこない。

ほら、うんざりするでしょう。だから剥がれない目立つラベルが増えるのはとっても嫌。かわいそうって思われるのは傷つく。

ところで、うつ病は周りからは仮病だろうくらいに思われていた方が塩梅がいい。わたしの場合は、という注釈入りだが、その方が元気が出るのだ。
頭が潰れるような、思考回路を侵す重苦しい呪いについて、知っている人はそんなに多くないのだ。多くの日本人が野生のキツネザルを見たことがないのと同じように、わたしがコンプトン効果について全くわからないまま高校を卒業してしまったように、想像できないものは共感できないし、共感を求めることはやめて久しい。
それに引き替え、内臓が痛い病気に世間は甘い。体の痛さは誰もが知っているから、共感できる。ただそれだけのことなのに。
痛さという概念を知らない人だけがお見舞いに来て、毒々しいほど陽気な曲芸なんかを見せてくれればわたしは満足だよ。

で、痛がりのわたしはもちろん経鼻内視鏡の設備のある病院を探しましたよね。
そして症状の説明と放置した釈明のあと少し触診してもらったら、やっぱり出た!内視鏡検査!その日は予約だけしてきました。
検査してナンボの商売だもの、おたくさんの自慢の設備と腕前、期待してるよ。来週、検査してもらうことになりました。
残念ながらそこまで悪いものは見つからないだろうけど期待半分、不安半分です。

内視鏡で何が見つかるか自体は少し楽しみ。わたしという単純な筒の、近くて遠い内側。建物でいうと衛生設備配管かな。どこかで破損している。
こわれたものを探すのはどきどきする。治すのはもっと面白い。

リラの香りに誘われて

ライラックまつりが開催中である。

大通公園ライラックの甘い香りに包まれるころ、北国の住人たちは年の半ばを数える冬にたんまりこさえたなもみを剥ぎ、お天道様の下へ一斉に這い出す。
今年は桜の開花が早く、連休ごろに花見を済ませてしまったのだが、いずれにせよ桜の季節はうすら寒い。このライラックの季節こそがこの世の春、札幌では最高に過ごしやすいのだ。「一年じゅうこの季節ならどんなに良いか!」というせりふは毎年恒例の耳タコで口もまた酸っぱい。

さて、冬眠から覚めたクマたちには当然花より団子。雪まつりが終わって以来グルメイベントの開催されていない大通公園周辺にあって既に腹と背がくっつきつつある我々にとっては、どんなにたわわに花をつけた見事なライラックも道産ワインと道産食材のマリアージュを香りと彩で引き立てるゲストに過ぎない。ちなみに「マリアージュ」と言ったのはイベント主催者で、わたしの辞書には見当たらない単語でごわす。

ワインガーデン2016リラ・マリアージュ
年々盛り上がりを増すこのイベント、出店するワイナリーも増えてゆき、すっかり札幌飲兵衛たちのお馴染みとなっている。一杯500円か800円のワインをチケットで購入し、デポジット式の貸しグラスに注いでもらい、出来たてのおつまみと一緒にお外でいただく。夕方の気温は18度前後、ワインで少し火照る体にちょうど良い爽やかな風がライラックの香りを一口ずつ運んで来る。こんな贅沢があろうか。

18歳の頃、この街には歴史もない、最先端の施設もない、何もないと悪態をつき、わたしは内地へ進学した。
ろくな仕事だってありゃしないと、卒業後は東京で働きはじめた。
それが、不本意ながらも26歳で泣きながら地元に逃げ帰り、すぐまた東京へ戻るつもりが今ではすっかり根を下ろしてしまった。
自分が今「ろくな仕事」をしているかどうかの判断は保留としたいが、ずっと地元で良い仕事をしてきた自治体、イベント会社、農家、醸造所、レストラン、広告会社、ホテル、旅行代理店のおかげで北海道は今や世界中から観光客が年中訪れる土地となっている。
きっと、昔から素敵なものはあったのに、わたしはそれを見つけられず、口元まで飯が運ばれるのを待っているだけの餓鬼だったのだ。
確かに冬は何もかもが白く覆われてしまうこの街だが、こうして季節の移ろいを五感で楽しみながら旬の美味しい物を安くお腹いっぱい食べ、親しい人との時間を過ごせることはわたしにとってはこの上なく幸せだ。
ここ10年で、東京やヨーロッパで修行したシェフやパティシエがわざわざ移住してきて営むお店がうんと増えた。そこに食材を提供する農家や漁港。そしてそれを紹介する雑誌や広告、ウェブサイト。それらの職場と求職者をつなぐ人材サービス会社。ろくな仕事は溢れている。
いっぱい働いてお金を稼ぎ、いっぱい美味しいものを食べる。出来れば、大好きな人と一緒に。
わたしの願いはなんと単純なことか。

レリゴーの先には何があったかな

札幌で始まった劇団四季ウィキッドを観てきた。前回は東京の電通劇場で2008年くらいに観て、今回が2回目だ。

生まれつき緑色の肌をもつ賢く気の強いエルファバと美人で人気至上主義者のグリンダが大学のルームメイトとして出会い、初めは嫌い合っていた2人が徐々に心を通わせ、困難に立ち向かいながら成長してゆく友情ドラマである。
こう乱暴にまとめると異論が出そうだが、根底に流れるテーマはタイプの違う2人の女の子の友情だと認識している。ポスターもそんな感じだしね。
お互いの違いを認め、勇気を出して自分を変えてゆく。
壊滅的にダサかったエルファバはシーンを追うごとに衣装はステキになり、自信に満ちてゆく。
頭空っぽだったグリンダは、責任感と使命感が芽生え、強いリーダーへ生まれ変わる。

ネタバレすると、最後のシーンでエルファバとその恋人のフィエロは、誰にも告げずひっそりと旅立ってしまう。先天的か後天的かの違いはあれど、社会的なマイノリティの2人がお互いの愛を支えに、国を追われる形で姿を消す。
劇中では、フィエロの実家が所有する古城という行き先が示唆されているのだが、わたしはマイノリティの安全な城というとあの氷の城を想起せずにはいられない。
アナ雪で国を追われたエルサが魔法で作り出した「隠遁の城」である。

ウィキッドでは1幕の最後、「自由を求めて」で概念上のレリゴー(ええい、ままよ。どうにでもなれ。もう自分に嘘はつかないぞ!力を使うぞ!という決意)をし、みんなのためにいろいろ頑張るけどいろいろ裏目に出て、愛する男性とは結ばれたけれど、もうここにはいられないから隠遁しちゃうエンドで終幕する。レリゴーエンドである。
それに対しアナ雪は、一度はレリゴーしたけど、愛する妹を助けるためにいろいろ頑張らざるを得なくて、なんやかんやで国も救えたし、魔法の力の平和利用が功を奏して社会復帰できたねよかったねという調和エンドを迎える。あくまで通過儀礼としてのレリゴーであったのだ。

ウィキッドは2003年ブロードウェイで初演。アナ雪は2014年封切り。約10年を経てアメリカ社会が示した、マイノリティが叫ぶレリゴーの先にある回答例の一つがアナ雪の社会復帰エンドではないかと考えた。
もちろんアナ雪ではそもそもアレンデールが比較的資源に恵まれた豊かな国で、国民たちの王室への忠誠度が高く、「一度やらかした王女」をわだかまりなく受け入れてくれるチート民度に支えられてのことであるのは間違いない。
それに対し、オズの国はこの世の数多の国と同様、市民は流言に一喜一憂し、プロパガンダに簡単に飛びつく。悪い魔女はどこまで行っても悪い魔女なのだ。これは、湾岸戦争を正義の戦争として肯定したアメリカ社会への批判精神をもとに描かれているためだろう。アメリカが強い世界警察だった時代に製作されたドラマなのだ。

しかし、今回は2度目の鑑賞なので気づいたのだが、冒頭のシーンで指導者となったグリンダは悪い魔女の「死」を喜ぶ民たちに友の真実を話し始めるのだ。そもそもこの劇は「回想録」だったのである。
そして、ここにわたしはレリゴーの先のかすかな希望を見た。きっと、いつか悪い魔女が山奥の城から帰って来られる国にしてみせるという、良い魔女の理想に基づく第一歩なのだと解釈した。

2003年からの10年間は、リーマンショック、アフガン攻撃、イラク侵攻など、将来世界史の教科書に残る出来事の多くでアメリカは主役を演じ、もはやかつてのような強く自信に満ちた世界警察ではなくなってしまった。
一方、シリコンバレーを舞台にテクノロジーの進化は著しく、かつてはオタクの趣味だったインターネットは爆発的に普及し、情報は世界をなだらかに結んだ。
個人がたどり着ける情報の量は飛躍的に増し、孤立したマイノリティ同士が海を越え山を越え、言葉の壁を越えて手を取り合った。

わたしはこの結びつきこそがレリゴーの先の優しい世界を生み出したように思えてならない。2003年の魔女は隠遁し、2014年の魔女は社会復帰した。つまり、前者の世間はマイノリティを拒絶し、後者は受け入れたということだ。
この世界は間違いなく、優しくなっている。
そう安直に考えるのは楽天的すぎであろうか。

ちなみに、2016年はウサギ初の警察官が優しさに疲れた世界でこじれた現実を目の当たりにするのだが、ズートピアの感想はこんど書く。

介入できない覗き窓

数学や倫理、化学、国語が好きだった。
覚えることが少なくて済むので、少しの勉強ですぐに点数が稼げたからだ。こういう分野は受験の役に立つ。

数学は定理を、倫理は思想のフレームを、化学は公式を、国語は要約の手法を。最低限のしくみがわかれば、比較的急速に教科間の横の繋がりができる。化学現象は幾何であり、数学は論理であり、国語は思想である。
物理は10代のころは概念自体を理解できず、からっきしであったが、20歳を過ぎてから良き師に恵まれ、生業とするまでに至った。
物理は世界をアバウトにし、出来事を捉えやすくする大人のツールだ。
とにかく、よく、「役に立つ」。

近ごろ夢中になっているのは歴史、地学、生物。
覚えることばかりの学問だ。
ありのままを観察する、忍耐の分野だ。
役に立たない私、私の中の役に立たない部分。どこから来たのか、どこへ行くのか、何が起こっているのか、何を起こせないのか。何も生まない、何も変えられない私を見つめる勉強だ。私が不在の勉強だ。
私はプレート移動を止められない。酸素を吐き出せない。アタワルパを救えない。微分方程式が解けても、アウフヘーベンできても、メッキ加工を施せても、感情を律に載せられても。

とうとう私は学問をはじめたのだ。

春の三陸珍道中

東北旅行は私のライフワークである。
この6、7年は毎年どこかしらに訪れている。昨年は春に青森県津軽地方、秋に山形県蔵王福島県会津を訪れた。
これから行きたいリストとしては、青森県下北半島、青森と八戸の縄文遺跡、岩手県の盛岡近辺、龍泉洞秋田県田沢湖周辺、山形県出羽三山福島県猪苗代湖など、まだ何十年もかかりそうである。

岩手県三陸地方は、震災前から行きたいとは思っていた。しかし、交通の便が気難しく時間もお金も非常に多くかかるためなかなか足が向かずにいた。足踏みしているうちに5年前の津波である。
それ以来、三陸には「遊びに行っていいのかな?歓迎されないのでは?」というイメージが張り付いてしまった。
わたしは警戒心が強く底意地の悪い性格であるため、自分をベースにして一般的な他人の心を想像するとどうしても悲観的になってしまう。「何の苦労も知らない余所者が呑気に遊びに来てからに!」という類の拒絶感を想像し、へらへらとレジャーに行くことで誰が傷ついたり嫌な思いをするのではないかという心配で頭がいっぱいになる。もちろん、現地でお金を使い、経済的に貢献することが直接的にためになることだというのは知識として知っている。しかし、それは一歩間違えれば「行ってお金を使ってやる。ありがたく思え。」というスタンスのような誤解を招きやすく、訪れる側が主張するには危うい理屈でもある。
旅行に行きたいから行く、本当はそれだけでよいのだろうが、付随するものが複雑すぎて、わたしはやはり三陸地方を意図的に避けていた。

しかし、この春その複雑な事情を吹き飛ばす強い目的が発生した。
親戚の縁や、何かの祭りなど、土地や時期に大きな強制力のはたらく事情ではなく、ほんとうに単なる個人的な趣味の領域だ。
それは、釣りである。

釣り仲間が仙台に転勤してしまい、しばらくご無沙汰していたが、この5月はどうしても自然の中で思い切り遊びたい気分だったのだ。
長い連休をとった。連休の前半は休養に充て、気力も体力も満ちたころ、よいしょと釣竿を背負い新千歳から飛ぶこと1時間、仙台空港へ。
さて、仙台市にほど近い松島湾も防波堤釣りには適したロケーションだ。しかし何しろ大都市近郊なので釣り人も多く魚の警戒心も高い。わたしのような素人では、雑魚もかからない可能性がある。
また、少し足をのばした石巻津波の被害が大きく、港湾のほとんどが工事現場となっているようだ。相棒はいちど行ってみたが坊主を叩いていると言っていた。

そこで、わたしから2泊3日の三陸リアス海岸ファイトを提案した。日本海側という手もあったのだが、釣り人にとって三陸海岸とはロマン溢れる魚の楽園なのだ。
相棒は「震災後の」仙台にやってきた余所者として多くの傷に直に触れているため、三陸という地名に少し躊躇いをみせたが、たっての願いに応じてくれた。
もともと三陸はとりわけアイナメをはじめとする根魚の聖地。瓦礫の撤去や港湾の整備もいくらか進んだ今、魚たちも静かな暮らしを取り戻してきているのではと思い(まあ、釣りというのは魚たちの静かな暮らしを脅かすものなのだが)すこしばかりお邪魔させていただいた。
そもそも釣りというレジャーは漁師の方たちからみれば仕事の邪魔だし、針を落とせばゴミとなるし、海にドボンと落ちれば海上保安庁のお世話になるし、釣られた魚はびっくりしてかわいそうだし、考えればきりがないほど傍迷惑なものである。せめて、マナーを守り、安全と環境に配慮した釣り人であろうと意識しつつ、地元の方々や海の神様から大切な資源をお借りして楽しませていただいている。そういうスタンスであることをまずエクスキューズしておく。

結論からいえば、釣果はすばらしく、自然は美しく、人々はたくましく、見るもの全てに心を動かされた。
いかなる意味付けもむなしいほどの現実がひたすらに続いていた。

山田湾では湾内いっぱいに牡蠣や帆立の養殖棚が並び、道の駅も飲食店も大盛況である。
釜石では、巨大な防潮堤の建設が夜を徹して行われ、地元の温泉宿には作業員の長期滞在を示唆する張り紙が。
クロソイは食欲旺盛、身の丈ほどあるルアーに齧りつく。透きとおった海には緑なす海藻の森と、森の住人ムラサキウニ
ヘラクレスが南の空で巨大蟹を踏みつぶすころ、赤く細い下弦の月が東の空に顔を出す。
早朝には海上保安庁の職員たちの掛け声、国道45号線は岩手ナンバーの家族連れで溢れる。
斜面には仮設住宅の軒先に洗濯物が並び、単管バリケードのアニマルガードは数え切れない賑やかさで立ち並んでいる。
目まぐるしく変わる道路の位置にカーナビは追随できず、新しい路盤は滑らかで、ところどころに残された主なき瓦礫とのコントラストが印象的であった。

旅好きの知人はみんな言う。
「旅先で想像する。ここで生まれ育ったら、わたしの人生はどんなふうになっていたのだろう」

わたしは決まって言う。
「あんがい今と同じようなことしてるよ、きっと」

嘘のように穏やかな海と白い切り口の断崖がつくり出す南リアスの海岸線。鳴り響く重機の音に、わたしは2度ほど大きく頷いた。



今回の旅の教科書にした
三陸たびガイド」